カリスマ左官のパネルディスカッション

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「カリスマ左官のパネルディスカッション」

~左官の技術と心を受け継ぐ皆様へ~  



日本の住宅はやっぱり土壁が一番

昔の家ってやっぱり心が落ち着きませんか?
木の香りと土壁、畳にこたつ・・・家族が笑顔で団欒できる部屋
縁側で、おばあちゃんと日向ぼっこをしながらおしゃべり・・・
いつしか日本の家は見た目がおしゃれで機能だけを重視した囲いになってしまった・・・

本当に大切なのは、心が安らぎ、家族が本当の家族ととれる温かい空間だと思います。
今回、我々岐左青年部は、左官をこよなく愛し、とことんまで追求した左官カリスマともいえる4人のパネラーの良き方に接することで、もう一度左官という技術、素晴らしさを学んでいこうと考えています。
そして、私たち左官屋の発展こそ、日本人の幸せに繋がると信じ、取り組んでいきます。



パネリスト紹介

植田俊彦
1963年東京生まれ。15歳で左官の道へ入る。22歳で久住章さんと出会い、仕事に没頭する。全国各地で仕事をし、独自の漆喰の配合やデザインなど新しいことにも意欲を燃やす。最近ではドイツに招かれ技術講習をしたり、三木の金物会社と鏝(コテ)の共同開発をするなどチャレンジは続く。「施主さんに喜んでもらえた時が一番うれしい」と、根っからの職人である。

小沼充
1960年東京生まれ。中学卒業後、東京で父の経営する豊工業に入社、左官修業を始める。36歳の時藤沢のワークショップで珪藻土を塗っていると、突然現れた左官名人榎本新吉さん(当時70歳)に、「そんな塗り方じゃ、土は塗れねえ!」と喝破される。2年後にはカリスマ左官の久住章さんに出会い淡路の図書館、東京・柿ノ木坂の集合住宅などの仕事に呼んでもらい、2000年9月にはニューヨークのSOHOで45RPMのショップを作る仕事にも同行した。造形的にも新しい発想を持ち、左官の側からいろんな提案力を持つ久住章さんから、多くのことを学ぶ機会となった。困難な仕事もオリジナリティのある解法でこなし、去ったあとの現場は美しいことから、人は「忍者左官」とも呼ぶ。

松木憲司
1963年東京生まれ。15歳で左官職人に弟子入り、33歳で「第33回全国左官技能競技大会」にて優勝し建設労働大臣賞受賞。平成14年度国土交通大臣顕彰建設マスター、2006年全国技能士会連合会マイスター受賞。現在は全国から来てくれた意識の高い未来の左官職人たちと、ひたすら一心に壁を塗り続ける毎日を楽しんでいる。「大変なことがあっても今が一番!」と言い切る。

阿嶋一浩
1962年東京生まれ。株式会社あじま左官工芸代表取締役。平成会会長を務め、現在、本年度日左連青年部本部長を務めている。「凡事徹底」を座右の銘とし、当たり前のことを誰よりも熱心に行なうことにこだわりを持ち続ける。次世代の若者に「自分は上に立つ存在だ、自分は世の中を変える存在だ、と思う気持ちが新たな結果を生む」と伝える。


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今までの左官。これからの左官

今までを振り返って

植田 淡路で建築設計の要請を請け負っている。クロスはやらないで漆喰のパターン仕上げを中心に仕事をしている。東京でも仕事をやり始めた。「左官を考える会」を立ち上げ、30種のパターン漆喰を拡げている。若い左官の唯一生き残りの糧として漆喰は重要だが、それだけでは不満がありタデラクトを含む磨きもやっている。

小沼 設計事務所から依頼で左官をやっている。ゼネコンからの書類仕事が多く苦労している。ゼネコンからの依頼で掻き落し、漆喰をやっているが、磨きをやっている。仕事を数多くこなすことを念頭に働いている。

松木 竹木舞・土塗りをできるだけやりたいと思っている。幸い三重は土塗りが残っている地域であるが、ドロコン屋さんがどんどんなくなってきた。最近はエコが追い風になり施主さん依頼の仕事が増えつつある。左官も世代交代の時期になってきたと感じる。

阿嶋 寺社仏閣を中心に仕事をしている。最近は伝統仕事も大手ゼネコンから、中堅ゼネコンからの発注も増えてきた。



現状の請負価格は

植田 ボードベースおよび漆喰2回塗りで、出張費は別で5千円/㎡程度と考えている。しかし値下げをしないことをポリシーとしている。

小沼 設計事務所からの依頼であり、左官仕事はアマウント(仕事量)で取り決めているので、仕事内容により決めている。

松木 出張費は請求している。単価は床単価で決めていたが、最近は実塗り面積単価に移行しつつある。



若い職人について

植田 40および50代はお金がメインであり、自分だけで目先が見えていない。30代後半の方は真剣にちゃんとした仕事に取り組んでいる。20代は壁がやっと平らに塗れる状態だ。我々の10代は親方から「やれ!」と言われたことをやり、30代がターニングポイントで、40代で新しいものにチャレンジした。最近は我々の1年間を5ヶ年かかっている。講習会で道を見つける、また生きがいを見つけることを教えて、さらに指導者になれる人を育てていきたい。

小沼 自分の10代は捏ねて、運んでの仕事が中心で、塗ることはほとんどやっていない。20代になって2年弱で仕事を覚えた。ただし、休みはほとんどなかった。30代半ばで榎本新吉さんや久住章さんに出会い、土仕事をやる左官の奥深さを学んだ。特に自分で提案することを教えてもらった。また名人になるなら何か一本に絞れと言われ、大津壁に集中した。今の若い職人は塗る数が少ない。また我々と比べると体力が持たない。もっと鍛えるべきである。

松木 10代は目標を与えられた5年だった。3ヶ年は捏ねのみで、その後は土中塗り、繊維壁、漆喰、外部モルタルを20代後半までやっていた。その頃から左官仕事が減ってきたので外構をやっていた。30代半ばで病気で1年休んだ。いろいろ考えた末、手仕事中心の土壁、漆喰の方向に決め、サンプルを作り、営業活動をした。篠山講習会が開催されるまでは我流であった。

阿嶋 若い頃、会社が縮小された。ただし職人さんが残ってくれた。リサーチをしたらお寺さんの羽振りが良かったので寺社の仕事に特化することを決定した。さらに関連して文化財へ仕事を拡げた。またセールスのノウハウを得るために学校へ通った。またサンプル提示や会社訪問を増やしていった。

植田 久住章さんと出会った時、あまりの仕事内容にびっくりし、こんな仕事は僕では無理と思い、出直しますと言ったら1ヶ月だけ付き合えと言われ、そのうちに仕事にハマってしまった。やると決めた時、この人についていくには、中塗りが大切と思い、仕事が終わったあと中塗りの勉強を主にやった。久住章さんは最初は何も教えてくれなかったが、一生懸命やっていると、少しずつ教えてくれるようになった。久住章さんの凄い所は自分が気に入らない仕事では自らが壊してやり直すところ。そうした背中を見て、職人の世界はやればやるほど身につく、また技術力のみでなく精神力も鍛えられると実感した。



左官の課題

松木 左官業界全体の仕事が必要である。またシックスクールをなくすために次世代に左官を広めていく見地から、学校等公営建造物に漆喰を塗ってもらうことを提言している。これは組合活動にも合致する。ただ、官公庁ではその効果について必ず文献が必要である。
また左官が施工する漆喰塗りは厚みを確保できるので、CO2軽減に効果がある。漆喰を塗れる職人を増やし、健康に良いCO2軽減に効果がある漆喰の普及を増していく。
材料を作れない若い職人が多い。何を加えたら良くなるかトライすべきである。説明が十分できる職人であることも必要である。施主さんはインターネット等で事前に情報を持っている。したがって正確に回答できれば信用を得られる。



今後のチャレンジ

松木 外壁にラスを貼らずに耐水性の高い土佐漆喰を塗る。硝子ネットは強度から考慮して使用する。

小沼 人生がすべてチャレンジです。

植田 やりたいことをやっている。若い職人を巻き込んだ大きな仕事をやりたい。

阿嶋 今年度は日左連青年部長にチャレンジしていく。



若い職人へのメッセージ

松木 制約にとらわれずに、施主さんを納得させるため、他の施工者との違いをアピールする。最近の若い職人は勉強している。

小沼 施主に対し同じ値段で塗り物を用意する。勉強すべきは、違うやり方が必ずあるということ。自分で合う方法を見つけてほしい。

植田 職人もセールスをしなければいけない。塗るものを増やすような営業もやってほしい。営業も仕事のうちであると考えてほしい。

阿嶋 パネラーの皆さん、本日はありがとうございました。



開催日時:2010年10月2日(土)13:30~15:00
開催場所:岐阜市文化センター

(ディスカッション内容の纏め:編集室 山口明)

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