ひょうたん海鼠を作るにあたって
さぬき左官 岡井むつ美
2012/06/09記
ひょうたん海鼠を作るにあたって。
今回、和風建築の住宅の矢切部分に“ひょうたん海鼠”を施すことになったのは、お施主さまのお父様との何気ない会話の中から生まれました。主人は“職人”と呼んでもらえるようになり、まだ数年という若い一人親方の左官職人です。
その日、主人は住宅基礎の工事を手伝っていました。雨が降り出しそうなので、早々に切り上げたほうが賢明だと思っていた矢先のこと。「どうもお疲れさん。ようやってくれてるね」。それが、この天気でもう片付けなくてはいけないんですと、たわいもない世間話。そういえばと、ふと思い出したようにお父様。「左官屋さんって矢切に家紋って作れるかな」。香川県の片田舎、よく見られる和風建築の特に大きな矢切には宮大工による木製の細工、もしくは左官職人が漆喰で作った海鼠もよう、雲や波のレリーフ。そして矢切の鋭角にいちばん近いところには家紋、というスタイルが一般的です。ですが、最近ではそのような新築の現場は減少しています。
ところが築十数年は経っていそうな、その家の大きな矢切には、黒い砂壁と帯状の白いラインがひっそりと、ただあるだけでした。新築当時に来てくれていた左官屋さんが、かなり高齢だったために無理をお願いできず、気がつけば矢切に家紋を入れてもらいそびれたんだと、お話されたそうです。「やっぱり自分の家にも欲しくなってね…」。ちょうどそこに居合わせたのが、左官職人の主人だったというわけでした。
漆喰壁を塗ることは多々あっても、漆喰で細工をするような現場にめぐり合うことは少ないのです。ふとしたきっかけから声を掛けてもらった主人。「どうせ作るなら」と、珍しいものにしたいという思いが真っ先にあったそうです。ただ珍しいだけに終始せず、目で見て楽しめるもの。家という一生に一度の買い物に見合った縁起の良いものを、と色いろな参考資料を引っぱり出し、イメージとぴたりと合わさったものが“ひょうたん”型の海鼠でした。
“ひょうたん”には除災招福・家運興隆・子孫繁栄。またその姿から末広がりという、まだまだ たくさんの云われがあります。この図案しかない、それ以外は浮かばなかったそうです。ただ細工が細かくなるほど値も張ります。もし、これでOKが出なければ図案の変更になるな、と思いながらも完成予想図と見積書を抱えて走りました。
見積書を見たお施主さんは少し驚いたような顔をされたそうです。「…結構(値段が)するんだね…」。ただ主人はこの図案にどのような願いと意味が込められているか。また、どんなに伝統的な工法を経験したくても、そのような需要が無いことには経験もしようがない。そんな貴重な現場をぜひ自分に任せて欲しい。そう伝えるとお施主さまは笑って折れて下さったそうです。
あとは漆喰で家紋を入れる作業が終わればこの現場は完成します。
主人にこのような機会を与えて下さったお施主さまの家庭が、一つひとつ繋がった“ひょうたん”のように末永く幸せがつづくことを私たちは願ってやみません。
※編集室より
ご寄稿していただいた、『さぬき左官 岡井むつ美』さんのブログをご紹介いたします。
「左官屋の嫁はん日録」
http://sakanyanoyome.ashita-sanuki.jp/
ブログの副題いわく、「■『左官』ってなぁに?土で壁を作る職人です!■西讃地方で昔ながらの"漆喰"を専門として中身の見える材料をモットーに左官業を営んでいます。 そんな主人を持つ普通の主婦がたわいもない日常の出来事を交えながら『左官』のことを分かりやすくお伝えします。」と、ありました。
ブログの中身は、ひょうたん海鼠の作業風景、用いた材料・サジ鏝などの写真とその説明、考察等々、ご主人の手がけた仕事が次々紹介されています。そして、四国ならではの土佐漆喰の仕事から、その特徴に言及されています。また、古い土壁をはがして再び壁土に利用する場面が詳しく紹介されています。ふだんから現場に足しげく通われる“嫁はん”と、ご主人の左官屋若夫婦の談笑がそのまま聞こえてくるかのようです。ほかに鏝鍛冶中西さんの工場訪問記など盛りだくさんの中身、お愉しみください。
(記・佐平)