佐藤ひろゆき氏講演

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京壁に科学の光を

「左官」佐藤ひろゆきさん京都工芸繊維大学で博士号


伝統に内在する暗黙知を形式知に変えて、新しい日本のものづくりを創成する京都工芸繊維大学伝統みらい研究センターの特任教授である「左官」佐藤ひろゆきさん(京都・(有)京壁 井筒屋佐藤)が、博士論文を完成され、2008年3月に博士号を授与されました。博士論文の研究は「京壁の物性と機能および施工法に関する研究」です。「左官」に関して博士号を授与されたのは山田幸一関西大学教授以来で、「左官」にとっては初めての快挙です。

2008年5月10日(土)に「佐藤ひろゆき氏博士号授与記念講演会」が同大学で開催され、博士論文の内容の紹介をはじめ、森迫清貴教授の「木造住宅に関する構造規定の変遷と耐震性」、左官的塾の会主宰・久住 章さんの「世界の土壁」などについての講演が披露され、約150名が参加されました。参加者は約1/3が左官関連、約1/3が学生、約1/3がその他の方々で、「左官」は京都関連の方が主体でしたが北は東北地方、南は九州地方と佐藤ひろゆきさんの顔の広さ、活動の幅を感じさせるものでした。


論文主旨

京壁は書院造りの建物に茶席を融合し京都の町屋に取り入れたもので、その特徴は京都近郊で産出した多様な色土を使っていること、柱の径が3寸5分以下であるため壁厚が取れない中で壁の強度を保つための工法を採用したことである。これを施工する「左官」の大部分は先達から受け継いだ「勘」や「コツ」また経験や感性を働かせている。そこでこれらの技術に内在する勘やコツ、経験に基づくノウハウなどの主観的・身体的な知識(これを暗黙知と呼ぶ)を科学的に解釈し、言語や数字などの他者が見ても理解できる一般的な形(これを形式知と呼ぶ)に変換する。

● 複合材料としての京壁
京壁は粘土、砂、水の混合物に藁苆を混ぜ、一定期間放置し泥状の材料を製造する。この放置時間を練り置き(浸漬とも言う)時間と定義し、「左官」は経験から最適な藁苆の割合、最適な練り置き時間を持っている。今回、圧縮試験およびスランプ試験と押し込み試験により評価した。結果は、
・ 藁苆は8%強、練り置き時間は7日程度が塗り壁材料として最適であった
・ これは国立京都迎賓館の左官工事の歩掛けとほぼ同じであり、「左官」が持つ暗黙知は合理的であることが明らかになった

● 伝統建築の土壁における細菌コミュニティの解析
京壁に使われる土壁材は、一定期間練り置き(「寝かせて」)から使用する。この「寝かす」作業は藁苆の発酵作用である。16sDNA遺伝子をもちいて土壁材に含まれる細菌を系統解析およびスペクトル分析をした。結果は、
・ セルロース分解性クロストリジウムは藁苆のセルロースから生産される糖あるいは有機物などを資化させることに寄与している可能性がある
・ 嫌気性の酸化鉄還元性ジオバクターは壁土が赤茶から灰色に変化させる酸化鉄の還元することに寄与している可能性がある
・ 残念ながら「寝かす」ことにより粘性物質を作る微生物が何であるか示すことはできなかった

● 左官職人の土壁塗作業における動作分析
3次元動作解析を用いて土壁塗り熟練者と非熟練者の違いと、異なる醗酵期間の壁土を使用したときの動作の特徴を明らかにした。結果は、
・ 熟練者は動作の再現性が高く、無駄な動きが少ない
・ 熟練者と非熟練者の動作の違いは膝の屈曲および伸展を中心とした重心の一定した動きが右腕の速度・加速度に影響している
・ 熟練者は上肢の姿勢や肩の角度、膝の使い方から安定性があり作業効率が高い
・ 作業に最適な材料の醗酵期間は7-14日である

● 京壁耐力評価のための繰り返し載荷実験
京町屋、京数奇屋仕様による土壁の耐力評価のために静的繰り返し実験を行った。結果は、
・ 中塗壁試験体の壁倍率は1.5-2.0程度であり、せん断変形角1/30radで単位長さ当りのせん断力は10kN/m程度で、壁厚が薄い(55mm)にもかかわらず、既往の中塗り壁と遜色がない耐力を示した
・ 軸組みのみの試験体は0.2程度、荒壁試験体は0.8-1.0程度であった
・ 荒壁を塗る前の竹小舞下地及び差し込み貫は耐力に影響していない
・ 中塗壁試験体、荒壁試験体ともせん断変形角1/30radまでは耐力上昇があり安定した挙動を示した
・ 壁土を寝かすことにより耐力は低下した。特に藁苆の長さが短い中塗壁試験体は2及び3週間に約1.3倍の差があったが荒壁試験体は3週間では強度低下はなかった

● 京壁の調湿特性
土壁は多くの細孔があり、湿度が高い場合にはこの細孔の中で「毛管凝縮」が起こり、逆の時には細孔内に取り込まれた水分が放出され、天然の調湿材料といえる。土壁の調湿特性を検討すると共に「寝かせる」プロセスが調湿特性に及ぼす影響を調べた。結果は、
・ 単位重量当りの吸放湿量は約1%であるが、塗厚が大きいので総量はかなり大きい
・ 「寝かせる」ことにより中塗土は吸放湿特性が向上するが、荒壁土の向上は僅かである

● 京壁に関する研究の考察および結論
本研究を通じて分かったことは、「左官」が当たり前のこととして受け継いできた手法が、科学的には非常に複雑な機能の組み合わせであることと、それを数値化することの難しさ、そして誰もが使える基準として汎用化することの難しさである。
今後の具体的な目標としては、
・ 土壁の表面の「さび」が出るメカニズムの解明。
・ 土壁を修理することにより、どの程度強度が回復するのか。
・ 匂いや有害物質の吸着効果。
・ 土壁にはどの程度癒し効果があるのか、また、何に由来するのか。
・ どうすれば土壁に耐水・防水効果を付加できるか。
以上のような事柄を検証し形式知化していくと同時に、それらをどのようにすれば全国共通の指標として使えるか、また、次の世代に伝えていくことができるかを考えていく。

(まとめ 編集室)
*この論文主旨の複写・掲載には佐藤ひろゆきさんの許可を得ています。



佐藤ひろゆきさん略歴
昭和26年生まれ。高校卒業後、家業である佐藤左官工業所に就職し、同時に立命館大学二部理工学部に学ぶ。卒業後、東京の西京工業で修業し、土壁・漆喰壁を中心に研鑽を積む。帰郷後は主に、茶席・数奇屋建築の土壁を施工する左官職として現在に至る。
日本左官業組合連合会青年部顧問・京都左官協同組合理事。左官基幹技能者・左官一級技能士、職業訓練指導員、二級建築施工管理技士。父の佐藤嘉一郎さんとの共著「土壁・左官の仕事と技術」(学芸出版社)がある。

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