土壁の魅力を探る
京壁左官 佐藤ひろゆき
建物の構成要素の大きな部分を占める壁に何を使うかというのは、非常に大事な事柄だ。自然物であれ人工物であれ、いかなるものでも壁になり得る。とにかく、あちらとこちらを隔てればそれが壁なのだから。
それでは、何故日本では「土壁」なのだろうか。歴史を振り返りつつ、現状から将来までを考えてみたい。
優れた素材
日本に最初から土壁があった訳ではないが、守るべきものが出来て以来、土壁は必要不可欠な存在として創出された。土は可塑性といい、入手し易さといい、利便性の点で他の材料に比べて優れた点が実に多い。しかも他の場所から持ってくるのではなく、目の前にあるのだから違和感がない。
日本においては、我々の生活圏はほとんど全て土によって囲まれている。簡単に手に入り、どのような形にも細工が出来、特別な技術も必要としない土は、水と繋ぎになるすさ類を加えれば、たちまちのうちに強固な盾にも、熱さ寒さを防ぐ防壁にもなる。
ただ単に目隠しのためなら、加工しやすい草壁でも葉壁でも布壁でもかまわないが、それでは外敵からの危険を感じる。岩石や金属は丈夫だが扱いにくい。木はどちらもクリアするが、火に弱く長持ちをしない。
その点、土は全てに一応の及第点が付き(水にはやや弱い)、外と内を隔てる壁として、外に対しては安心感、内に対しては和みを醸し出す。
塗壁仕上げの建築群
古代より少し時代が下がって住民の生活や文化も段々と進化し、柱や屋根、床をもった建物が建てられると、その柱と梁や床に囲まれた空間に壁下地をつくる塗壁工法が完成した。
時代は進んで飛鳥時代より屋敷地の周辺を囲む塀に土壁が使用され、特に重要で耐久性が必要な箇所は白壁上塗となり、高価な漆喰や白土壁が塗られた。このころに発達した工法の一つに塗壁仕上げの蔵(倉)がある。蔵は元来資財や食糧を保管するため防火・防湿かつ防衛能力を求められる建物で、土壁の土倉が最も堅固かつ安全であることから応仁の乱に続く世相不安の中、需要が増大した。
さらに下克上の風潮が国内に拡がり、戦時の攻防に備えた城郭といわれた大規模な建築群が各地に建てられた。これは相手の攻撃に耐える構造が必要になったためであり、外郭は全て土壁による塗籠造とした。
心に働きかける土壁の登場
そのような土本来の機能を生かしつつ、長い経過を経て、試行錯誤を繰り返し土壁は進化し続け、多様な機能をもった芸術作品へと変化を遂げた。
16世紀に、一人の偉大な茶人千利休の出現によって、草庵風茶室の土壁として、大きな役割を担った構成要素に生まれ変わった。それ以前の土壁は人間の五感に働きかけるだけの機能重視の使われ方だったのが、利休は第六感(心)に働きかけ、和みを演出する大切な要素としての土壁を出現させた。
従来の機能を損なわず、一種の超空間を創出する手段としての土壁を世に送り出し、今までは脇役であった土壁に主役の座を与え、木材とは一味違った質感を演出し、禅とも相通ずる思想までも与えた。
下地窓、火灯口、塗廻し等の約束事や細工仕事の多い茶室工事は、社寺や普通住宅の工事とは発想が違い、またしきたりや体験による色々な区別、格式、特色があり、経験と風習、環境と裏付けをもって伝えられたものである。
重厚な仕事へと進歩
江戸時代の300年間は他の文化同様建築界も長足の進歩を遂げた。社寺や公武階級を除いて、特権町人以外は上塗さえ許されなかったほど厳しい規則があり、無駄や贅沢ではなく、表面は質素ながら内部の見えない部分に手間をかけ、良い材料を使った燻し銀のような重厚な仕事が施工されていた。
薄塗り工法の誕生
明治を迎えて、外国文化の流入は建築業界にも「セメント」という、まさに革命的な新材料の輸入をもたらし、水で練ればたちまち岩石の如く固まり、火や水にも強く作業性も良好というよいことずくめの性能は瞬く間に建築界に広まり、建築の様式や施工法を大幅に改変してしまった。
大戦が終わって荒廃した都市の復興が急務となり、おりしも開発されたボード下地に石膏系壁材を薄塗りする工法は、工期の短縮と工費の引き下げに大きく寄与したため、激増する都市住宅需要に沿って爆発的に増加した。さらに樹脂系の上塗材が開発され探求の薄塗工法が考え出された。
危機を迎えた土壁
日本建築の顔としての土壁はずっと主役の座を堅持してきたが、この半世紀の間に劇的な変化が起こった。建築の顔としての地位を他の材料に奪われ、土壁を取り巻く環境は危機的になり、土壁は単なる下地になってしまった。
また、土壁に係わる言葉がなくなってきている。例えばえつり竹・底埋め塗り・貝の口等の工法、稲荷・大阪・九条等の色土、ヒゲコ・布連等の材料、地金黒打ち、水撫ぜ鏝等の道具、チリ廻り塗り、貫伏せ等の技術。道具・材料・技術は三位一体で、どれもが欠けても土壁はなくなる。
何故そのような事態に至ったのか。科学の進歩による生活の変化、石油製品の実用化、大量生産大量消費という思想の普及、その他人間の生活そのものが変化を遂げ、旧来のスローライフという生活習慣が失われ、快適さだけを追い求めた結果、循環型の社会から消費型の社会に大きく変貌した。
現代に通用する優れた特徴
土壁に欠点があることは承知している。ただ、その欠点を補うために、数百年という年月を費やし、先人達が努力を重ねた結果、今我々が目にする聚楽壁をはじめ、大津壁、漆喰壁、砂壁等々、建物を彩る多様な土壁仕上げが創出され、現代の日本文化の一端を担っているのは周知の通りだ。
土壁には、優れた機能と意匠がある。つまり、「柱や壁を引き立てる壁、まわりを生かす壁」、「一見目立たないが、長く見ていても飽きず、味わい深い壁」、「湿度の調整・有害物質の吸着・防音・断熱・防火」など。特に最後の点は、現代においては、さらに重要な要素であるといえる。もちろん、手数と時間をかけねばならないことは百も承知だ。
さらに、現代だからこその、大きな要素がある。自然素材全般に共通の特性だが、再生が利くということだ。資源の少ない日本においては、その資源の再利用なしでは将来にわたって持続的な発展は期待できない。
少なくとも数十年前までは木材も紙の石も土も、二度や三度のお勤めを果たしてから、最後には煙となり灰となり、土に混ざり、元の自然に復帰したものなのだ。鉄でさえも時間とともに錆を生じ酸化鉄の粉になり、元の大地に帰る。何と合理的なことであろうか。
土壁も役目を果たせば元の土くれに戻り、又同じ土壁として再生利用できる。これは現在の使い捨て社会とは反対の方向であり、自然を拒絶、排除、征服するのではなく、自然に溶け込み一体となる生き方なのだ。
土壁は不滅
将来的には新しい土壁、例えば、温度や湿度で色が変化する土壁が出現するかもしれないが、いずれも土壁の歴史の延長線上にあるはずであり、あくまでも土壁の本分は守っていくだろう。温故知新の精神がある限り、土壁は不滅なのだ、と信じて疑わない。
これから建物を建てる人には、次のことを希望したい。
●その建物に何年住むのか? 10年、100年を考えてほしい。土壁は50年、100年の歳月を耐え抜く壁となる。いや、その過程を経てこそ、どこにもあるただの土くれが土壁へと変貌するのだ。しかも年月を経るごとに土壁は変化を続け、薄茶色から茶、焦げ茶へと色が移ろい、最後はほとんど黒色までになる。そこが土壁の不思議、自然素材の不思議なのだ。
●家は造り育てるものであって、決して買うものではないことをよく理解し、10年かけて自分に合わせて改善していってほしい。100%満足のいく家は最初からできないのだ。
●建設中の姿を見てほしい。過程を見ると愛着を持てるからだ。また、施工過程には、建物の良否や「真行草」を見定める目を養う絶好の機会が内在し、一生に一度学べるかどうかの貴重な経験となる。その過程を楽しむことこそ、最高に贅沢な時間の過ごし方ではなかろうか。
そして、左官職に対しては、次のことを願う。
●作事方は良い仕事をすること。施主さんの喜ぶ顔がより一番。
●何年か経った時、「良い家を建ててくれてありがとう」という施主さんの一言が勲章となる。だからこそ、それを念頭に仕事をすること。
今後も土壁を生業とする人々、いや土壁を愛する人々の知恵と努力によって、土壁が益々発展と変貌を遂げることを心から願っている。
*本稿は次の資料をもとに、編集室でまとめたものです。
・「建築仕上技術」vol.29,No.344,2004-3
・日左連青年部広島大会、佐藤氏による講演2009/06/01