久住氏新連載7

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手作りのチリボーキ

久住 章

■08 チリボーキ考



1.はじめに

チリボーキの“素材、形状、使い方”は、地域や職人によって違いがあり、これが正しいと云うようなものではなく、それぞれの目的に合わせて使用されている。

昔、大阪では左官の親方を選ぶおりに「チリボーキを見て選べ」と云うぐらいで、鏝は鍛冶屋が作るが、チリボーキは自分で作るものであり、製作ものは以下のように自ら評しまた評された。

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この事柄から考えてみても、職人が自分の仕事に如何に強い責任感と高い情熱、そして深い愛情を持っているかを見ることができる。もちろん職人の経験年数が浅くても親方に習い、きれいなチリボーキを作れる職人もいるが、このような心がけこそ重要である。まず、ひとつのことに集中できる人は、可能性の高い職人である。

但し現実は複雑であり、飛びっきりよい仕事をする職人でも道具やチリボーキの管理が粗雑であったり、反対に道具の手入れもよく美しいチリボーキを作る能力があっても、技術はまあまあの職人もいる。

この本の内容は世間の標準的な目安を目指したものではなく、あくまで私個人の経験上の感想を記していることをご承知いただきたい。






2.私のチリボーキの使い方

私のチリボーキの使い方と形状は大阪型である。私の父は若い頃大阪で修業したので当然父から習った私も大阪型になる。また私は28歳の頃に京都で修業したので、両方の方法の違いについて述べる事ができる。

が、京都の職人全員が同一の方法を採用しているとは限らず、また大阪も同様であるから標準的に推測すれば50%強の人が共通した方法を採用しているのであろう。その理由により完全には地域性を論じられない。具体的には京都の誰それ、あるいは大阪の誰それの方法と云った方が正確である。技術の地域性とは必然的に良い技術が地域を越えて伝承的に複合した形で残る。
例えば以前NHKテレビ番組「プロジェクトX」に出演した京都の左官・小川久吉氏が桂離宮で使用した主要な道具の中に、大阪で作られた鏝が少なからずあった。また28歳の頃、この小川さんの道具を見せてもらったおり、「輪違い」「ヒョータント」の銘の入った大阪の鏝が有ったのを覚えている。京都の職人としては異例である。

京都で修業を終えて故郷の淡路島で数奇屋の住宅の壁を塗るおり、京都式に柱に指を添えてチリ掃除したところ、その仕草を見ていた大工に突然注意された。土を使う左官の手は完全に清いとは云えない。その手できれいに削られた杉柾を触るとは何事か! と云われた。この注意した大工は私の父同様若い頃に大阪で数奇屋の修業をしていた。大阪では仕上げられた大工仕事に触らないのが常識で、特に左官は気をつける必要があった。その理由で造作の木部にチリ掃除の際に指を添えるなどはもっての外である。

では京都と大阪の違いとはいったい何であろうか。例えばどちらも同等の上級の建物の場合、京都では昔から専用の洗い屋が工事の最後に入り、木部を清掃する。これは左官の問題ではなく、造作工事をする大工その者にある。いくら気をつけて木材を扱っても多少手の汗や汚れが付着する。建物完成後にそれらの汚れがシミになり現れる場合がある。それらをあらかじめ清掃するのである。

古来から都である京都は丁寧な仕上げの積み重ねとして洗い屋の技術も突出しており、上級の建物では習慣化している。そのような環境の中で左官の技術的条件も変化して作業性の良さを選択した結果ではないかと思われる。

一方、大阪では一度でもクリーニングしたものは新品ではないと云う考え方があるようだ。その理由により極力汚さない工夫に重点が置かれた。(実際には余計な仕事に金を使わないと云う商人的な価値観に由来するかも知れないし、どちらが正しいと云う問題ではない)。そう云った若干の考え方の違いが地域の技術差のひとつとなって現れる。



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