ちかば散歩⑦ 油彩画『切り通しの坂』と万年塀
蟻谷佐平 (編集員)
2013/03/05記
渋谷区はその名の通り坂道だらけですね。今は舗装された坂道もかつては土がむき出したままの、雨が降れば泥流に晴天が続けば埃っぽく乾いてと、坂道の起伏に富んだ地べたのボリューム感が画家の心を捉えたのでしょうか。
この風景画は岸田劉生画伯(1891-1929)の『切り通しの坂』(東京国立近代美術館所蔵)です。描かれたのは1915年11月です。写生した場所は小田急線「参宮橋駅」から甲州街道方面に向かい徒歩10分の急坂の下です。この坂を上って一直線(青空の向こう)に歩くと14~5分でJR代々木駅に着きます。昨秋、友人Fとこの写生地を歩きました。(下写真は写生地とほぼ同位置から撮影)。
描かれた頃、この急坂の下には小さな沼池があって、子供らの格好の遊び場だったと土地っ子に聞きました。また、この沼池の少し先の小川の辺り(代々木八幡駅沿い)を詠んだのが、童謡『春の小川』(♪春の小川は、さらさら行くよ。岸のすみれや、れんげの花に、すがたやさしく、色うつくしく咲いてゐるねと、ささやきながら・・・)です。この歌詞はもともと1912年に詠まれた詞ですから、丁度、絵の描かれたころに重なります。作詞は高野辰之で、ほかに『故郷』『朧月夜』が小学校唱歌になって歌われてきました。
さて、この絵をよく眺めると、左手の石垣の上に万年塀が描かれています。万代塀とも称したコンクリート平板の塀ですね。街歩きしていると、今でも住宅地で(ブロック塀ほどではありませんが)よく見かける塀です。
わが国のセメント製造が始まったのは1884年(明治17年)ですから、万年塀はずいぶん早くコンクリート工業製品になったもんのひとつですね。この絵が描かれたころには、かなり普及していたのでしょうか。施工方法(コンクリート支柱に平板をさし込み積み上げて笠木を乗せて完了)が簡便で工期が短く、適度な価格と丈夫さが受けたのでしょうね。
にしても、万年塀の名前の由来は何でしょうか? 万年筆、万年床、万年カレンダー・・・と万年のつくものを思いつくまま並べて、やはり末永く使えるもんとして名付けたのでしょうね。