ちかば散歩⑧ 甘話休題
蟻谷佐平 (編集員)
2013/07/13記
このりりしい姿を見よ!! ってぇ感じで記念写真に納まっている方は、予科練時代の榎本新吉師なんです。先日、ご親戚筋のIさまのメールに添付されて送られてきました。およそ70年と云う途方もない歳月が経っています。で、真ん中のバナナの斜め左上が榎本師なんです。
予科練時代の話は一度きり耳にしたことがあります。元日左連会長池本孝氏と何かの会合での立ち話でした。お互いのお歳が近いので若いころの話になり、「予科練は何期生だったかね?」、確か1期どちらかが早かったと記憶しています。
でも、予科練の話を含め戦争体験の話はおよそ聞いたことはありません。もっぱら左官談義に始終してきました。そして時に「ありゃ美味いぞ」って食いもンの話を間にはさむことがあります。で、2つ3つ美味いもンの寸話をします。
羽二重だんご(荒川区日暮里)。「店入ったことあるかあ? ン、無い。じゃ今から行くか」と、素早く連れられて入った店のテーブルでお茶とだんごのセットを頼みました。「ナ、美味いだろう!」って言われて成程、「上品な味ですね」と、その甘みが次々と会話をはずませてくれました。何時だったか、女性建築家から榎本師への訪問のおり土産に何がいいかと問われたことがありました。で、羽二重だんごを薦めましたら、後日、榎本師から「あんな若い建築家に気を遣わせちゃ悪いぜ。『パック』のコーヒーで十分だから」とたしなめられました。でも、甘いもンには目がないのも承知していますから、たまには好いこともあっていいじゃん、と馬耳東風に受け流しましたっけ。
源氏(文京区本駒込)。うな重と云えばここに尽きると何度も通った店です。メニューに松竹梅とあり、毎度『竹』のうな重を頼みます。『松』は贅沢だしな、『竹』には「肝吸い」付いてっからこれにしょう、と。で、店の方に注文のあと必ず、半分折詰にしてくれと頼みます。「いい加減歳喰ってるんだから、半分で腹には丁度いい」と。折詰は奥さまへのお土産、ホロリとさせる話ですが、さり気なくが榎本流の気遣いですね。
群林堂(文京区音羽)の豆大福。師のところへ家から通う時、白山通りを通ります。その通りに面した護国寺の信号を右に折れてすぐの和菓子屋さん。午前中でないと売り切れしばしばの豆大福は店の裏手の工房で作られています。北海道富良野産の赤えんどう豆や十勝産の小豆がぎっしり詰め込んで、ひとつ喰えば十分なくらいのボリュームと歯ごたえがあります。普段は小食気味の榎本さんが、ひとつ丸ごとたいらげて「ナ、美味ぇだろ」って。確か、護国寺境内のなにかの仕事をされていたことを聞いたことがあります。たぶん、そんな日の仕事帰りに寄って、この豆大福を土産にしたのかなと類推・・・。添加物なしなので少し買って、すぐにも食べてしまう絶品の味。
予科練写真を送っていただいたIさんから、チョッといい話を聞きました。Iさんのお母様は榎本さんの奥さまとご姉妹。で、新吉叔父貴が遊びにくると、「カッコイイ叔父さん・・・だな!」と、Iさんはいつも感じていたそうです。そして「新吉、しんきち・・・」と言って、Iさんの母親に可愛がられていたそうです。末っ子の“新吉”さんは、甘え上手であったかもしれません。なにせ、女姉妹の中の“たったひとりの男”でしたから、大切にもされました。・・・そ、そうだったんですかあ、新ちゃん、ヨカッタネ!!
閑話休題ならぬ甘話休題。桜の季節になれば隅田川沿いの『長命寺の桜葉餅』、あるいは向島『言問だんご』、思い浮かべては訪ねたいと願うばかり。
(本文は2013.03.15記)
追記
2013年6月17日早朝、榎本新吉師がご逝去されました。
生前、恩師が特に推奨された2冊の本があります。「風土」(和辻哲郎著)、そして「日本壁の研究」(坂本邦基著)に記されている言葉を引用されて、その大切な意味をほぐして語られていました。あらためて読み返しながら偲びたい気持ちになります。あらためてご冥福をお祈りします。