ちかば散歩3

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ちかば散歩③ アスファルトに咲く花

蟻谷佐平 (編集員)

2012/07/05記


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コンクリートを型枠のなかに打ち込み固まれば型枠をはずして、露わになったコンクリートの無垢な塊(かたまり)のままの仕上が、『コンクリート打ち放し素地仕上』の建物ですよね。その無垢なるものに魅了された建築家の志向(嗜好)において、形は多様でもコンクリートは変わりません。

ニチエー吉田さんが3月に店を閉じました。浜松に本社を置き、『コンクリート打放し素地仕上』の損傷補修の技を開発し体系化し大きな組織に育てた吉田晃さんの会社です。その技、損傷補修の技はコンクリートに人(職人)の加えた痕跡を徹底的に秘めて隠した技ですから、ふつうに見ればコンクリートのままに見えます。そしてよく観察すれば、なるほどと発見できる擬態に似て、勝れた技術が施されていることに気がつきます。

この擬態のような技、擬コンクリートの技は本来あってはならない損傷に派生する技ですね。ですから施工時、損傷そのものを隠したがりますし、時を経たあとも損傷が目立たぬように施す擬の技に徹します。ぼくはコンクリートの損傷を肯定的に受容するのは、陶芸職人の焼き物つくりに似て、登り窯から取り出しながら品の色、形、釉薬の溶け具合等々、窯変を受け入れるようなことを思うからです。ただ、焼き物は陶芸職人の心をなぐるような不出来であれば、また意に沿わないのであれば、実用的には差し支えないような器でもたたき割って捨てます。較べて建物の器は大きく、壊すわけにも捨てるわけにもいかないですよね。

ジャンカ、豆板、巣穴、コールドジョイント、アバタ面、鉄錆、黄ばみ汚れ、エフロ、型枠ズレ段差、漏水etc。数え上げたら際限ない損傷箇所のひとつひとつを性能的に精度的に回復し、コンクリートの無垢な表情に合わせる色彩技術・・・・。それが素地補修屋さんと呼ばれる仕事です。

吉田晃さんとはお話したこともお会いしたこともありません。ただ、工事現場では何度かニチエー吉田職人さんの技を拝見してきました。はじめ補修箇所はコンクリート面の肌合いに整形して白く塗られています。数日掛けて少しずつコンクリート模様に染めあげていくうちに、補修箇所がわからなく消えていきます。不思議です。ふつう、モルタルを配合して損傷箇所を塗っても色合わせにはなりません。ましてやコンクリート模様にはぜったいなりません。

吉田晃さんはもともと左官屋さんでした。素地仕上補修を頼まれてその方法がわからず、艱難辛苦の日々、研究怠らずに修練を積まれてニチエー吉田工法に結実されました。なにかの本でひとつの逸話を読みました。現場での昼食弁当のおり、箱のおかずから偶然に汁をこぼしコンクリート床に染みていく様子を見て、『コレだ!!』と思われたそうです。日常の何でもないことのなかにヒントを得る話しですが、みなさんにもこのような体験がお有りだと思います。

もともと土壁であれ漆喰であれ素材のもつ無垢の質感を活かしてきた日本の左官屋にとって、その素材が明治時代にはじまるセメント製造(1875/5/19)以降の百余年経たコンクリートの歴史をたどりながら、その特徴を自然に呑み込み、素地補修の技を咲かせたのが左官屋であったことは、考えてみれば必然の出来事だったのかもしれません。

うがった見方をするようですが、コンクリート素地仕上の建物は同時にコンクリート損傷補修工法の完成で普及したとも言えますよね。そして本来は、咲くべき処ではない『アスファルトに咲く花・・・』(Tomorrow岡本真夜さんの歌詞)なのかもしれません。それゆえに、吉田晃さんの技が独立峰のように見えた時代が長く続きました。もともとは左官屋さんが開発した擬の技。その擬の技の後継者が、同じ左官屋を生業とする職人さんから続々育つことは、時代の要請に適うことではないでしょうか・・・・。

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