鈴木俊昭連載3

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連載第3回 左官の呼称の変遷史について

(有)スズキ金物店 代表取締役 鈴木 俊昭                                   

資料: (有)スズキ金物店 HP より


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はじめに
今日では「左官」というと、壁を塗る職業の人達であると一般によく知られていますが、「さかん」の語彙の由来について、またなぜ「左官」という文字を使うのかについては諸説があり、学会においても左官業界においても、明確な定義はありません。

ある程度説得力があり、一般にも理解されている説として、佐藤嘉一郎・佐藤ひろゆき著「土壁・左官の仕事と技術」(2001年)の中で次のような説が紹介されています。

「宮廷工事の儀式の際、無位無官の職人では宮城部に参入できないので、臨時に仮の官位を、その時代の公家の慣習に準じて、守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)の階級になぞらえ、壁塗に目(さかん)の名称を与えた。」時代により、この官位の目(さかん)は属、志と表されて、これらの文字も(さかん)と読んだ。

「工事の際に褒美を賜る順が、大工、屋根職人、錺(かざり)職人、壁塗と四番目であるという慣例から「さかん」とした。」


しかし、壁塗職の人達が「左官」という文字の名称で呼ばれるのは、古代から長い歴史を経て江戸時代初期の頃からであると、関西大学教授であった故山田幸一氏は、歴史的に日本の壁塗について研究した著書「壁」(1981年)の中で述べています。

「左官」という名称は、日本における壁塗職の建築における地位の向上と、壁塗としての明確な職業の確立過程の中で呼ばれるようになってきたのです。

そこで故山田氏の著書に基づいて、壁塗職の呼称がどのように変化してきたのかについて、古代から近世までの壁塗工事の変遷を語る中で述べてみましょう。





(一) 古代の壁塗職の呼称
日本における本格的な壁塗工事は、崇峻元年(588年)朝鮮半島の百済国から仏寺建築に渡来した工人が法興時(現在の奈良飛鳥寺)の建築工事をしたことから始まります。593年には大阪難波の四天王寺建築で初めて漆喰工事が行われました。
これ以前の古墳時代には、土壁は用いられていなく、壁の材料は素木(しらき)の板や竹あるいは木の皮などで編んだ網代や茅のような植物性のものばかりでした。

この後、大陸風建築様式は仏寺以外に宮殿や高級貴族の邸宅に普及していきました。しかし、白堊壁の漆喰は、多量の燃料を必要とする石灰と糊料として米が使われるために、大変高価な壁材で、権力者などのごく一部の限られた建築にしか使われませんでした。

このような状況下で、奈良時代には壁塗専門職は「土工」(つちのたくみ)と呼ばれ、律令制の下の土工司(後に木工寮)に統括されていました。ただし、下地作成や下塗のような特に専門的技能を要しない作業は「役夫」によるのが原則で、また壁画仕上げにするときの白堊(漆喰)上塗は画師によって行われ、壁塗工事の全工程が「土工」によってすべて行われていたのではありません。




(二) 中世の壁塗職の呼称
平安時代以降、強いて壁塗の技術的変化・発展を指摘すると、土を塗り付ける木舞下地に竹が使用されたり、白堊上塗の材料使用量が白土から消石灰(漆喰)に増すくらいで、壁塗工事を大きく転換させるほどの発展はありませんでした。

むしろ、中世を通じて著しいのは土壁塗工事の需要の拡大で、倉庫や土塀などの小規模建築物にも行われるようになったことです。古墳時代は建築物に対する人々の関心が屋根に集中していましたが、時代は移って人々は壁に関心が向くようになったのです

このような過程で、壁塗職の呼称も変化して行きます。律令体制が緩んだ平安時代の初期には、「土工」と言う用語は壁塗工事全体を指す呼称として残っていても、個々の職種を指す用語としてはすでに消滅して、「中塗工」、「塗工」(上塗りを担当)と呼ばれるようになりました。

平安時代中期から鎌倉時代にかけて、さらに壁塗職の呼称が変わりました。「壁塗」、「壁工」、「壁大工」、「壁夫」といった名称が文献に頻出します。

このような呼称の変化は、主要な造営工事が木工寮の所管を離れたばかりでなく、今まで画師の下請的存在の多かった壁塗職が、上塗をも含めて土壁施工の全工程を行う地位を確立したからです。




(三) 近世の壁塗職の呼称
中世を通じて、白堊(漆喰)上塗まで行われる本格的な壁塗工事は次第に増えていきましたが、庶民にとっては、まだまだ高根の花でした。室町時代になってもこれは変わらず、京都の中心街においてすら町屋の外壁に上塗はされていませんでした。

ところが江戸時代初期になると、京都の町はほとんど白堊(漆喰)の家屋で埋め尽くされてしまいます。このような急激な壁塗工事の変化の原因はいったい何なのでしょうか。

ここに近世城郭建築と町屋における草庵茶室建築の登場があります。

1600年(慶長5年)を境として、ほとんどの城郭の外装が、耐火と耐弾の面から総塗籠式(外装ばかりでなく格子・軒裏まで白堊(漆喰)上塗をした本格的な壁塗工事で塗り込んでしまう方法)を採用したことによって、壁塗工事の量的な生産力の拡大が促進されました。

また、草庵茶室建築は新しい種類の土壁の導入を促し、意匠面での変化が豊富になり、壁塗工事の質的発展を促進しました。

やがて戦乱の時代が終わり、江戸時代になって急速に多くの建築に壁塗工事が普及することになります。

さらに、江戸幕府の都市防火対策と奢侈禁止令が、町屋に多くの土蔵建築を促すことになりました。土蔵は白堊(漆喰)塗籠式で、いわば小型の城郭ともいうべきものです。そして壁塗職の受け持つ比重の最も大きな建築物でした。この土蔵こそが、城郭建築の廃された後の需要を支えた最大の顧客で、まさに江戸壁塗職の華ともいう存在でした。

このような展開の中で、壁塗職の呼称が変化しました。壁塗職を意味する「左官」という文字の出現です。慶長10年(1609年)の宇都宮大明神御建立勘定目録にはじめて出てきます。

しかし元和3年(1617年)になっても、まだ中世の呼称である「壁塗」と呼んだ文献があり、呼称の混乱が続きました。

「壁塗」・「左官」の使用の混乱に終止符が打たれるのは、寛永19年(1642年)京都御所の壁工事で表題・職名ともすべて「左官」に統一されてからです。

これ以後現在まで、時代は変わっても、明治時代になってセメント利用により表層を担う技術が一気に多様化し、「左官」から「煉瓦職」や「タイル職」といった新しい職能分化がありましたが、壁塗職を「左官」と表現する言葉は変化せず、存在し続けています。





むすびに
古代から近世までの壁塗工事の変遷の中で、壁塗職の呼称がどのように変化し、「左官」という語彙がいつごろから使われだしたのかを述べてきました。しかし「左官」という語彙の使用が、なぜ地方(宇都宮)で早く、中央(京都)では遅くなったのかは、何らかの意味があるかも知れませんが、まだ解明されていません。

「左官」の語源については、諸説あって明確な定説はありませんが、故山田氏によれば次のように述べています。

日本の建築は木造を基調としているので、木工大工が主導者になるのが当然で、その地位は古今を通じて変わらなかった。しかし、その他の建築に関する職種は、時代によって異なる建築形態によりその地位は重くなったり軽くなったりして変化してきた。近世を振り返ると、壁塗工事の比重が飛躍的に増大し、木工工事に次ぐ地位を獲得した時期であった。まさに長官たる大工を佐(たす)ける次官的な存在になったという意味で、「左官」の文字を当てたことは妥当というべきかもしれない。


本来、「右」にも「左」にも共に助けるという意味があり、「右」は上から助け、「左」は横から助けるという違いがあります。その意味から近世において壁塗職が大工に次ぐ地位を獲得して「右官」でなく「左官」と呼称したことはまさに適切であったと思います。


平成21年1月吉日
有限会社スズキ金物店
代表取締役 鈴木 俊昭





※編集室より
転載にあたり、鈴木俊昭様より筆者としてご理解の上、ご許可をいただきました。まことにありがとうございました。「左官の呼称の変遷史について」「左官鏝の歴史について」のふたつの論旨は、平易な文章ですから読みやすく、さらに歴史的な考察においては出典が記されて明瞭に解りやすい内容に存じます。また、特徴のひとつになりますが、山田幸一先生のご研究の引用はじめ、佐藤嘉一郎・ひろゆき父子著「土壁・左官の仕事と技術」(的塾の本棚でも紹介)、西山マルセーロさんの研究論文等の新鮮な記事、新しいものの見方考え方にも触れていますので、よろしくご覧ください。
なお、鈴木俊昭様から近著「日本の大工道具職人」(財界研究所 2011出版)のご紹介をいただきました。鑿・鉋・鋸等々の大工道具、左官(本欄転載)について解説と伺いました。60余年にわたる金物店ならではの「目利き」、愉しまれては如何ですか!!

追記: この(有)スズキ金物店にぼくは20余年前からよく鏝を買いに行きました。三木の鏝はじめ野丁場でよく使う角ゴテ、イタリア磨き用先丸ゴテ等々、実用的で求めやすい値段の印象でした。前述の本も購入できるとの由、つづけてお店の連絡先及びHPを以下に記します。
(佐平)


(有)スズキ金物店 へのお問い合わせ

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