久住氏連載5

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磨き壁をめざして 第4回(最終回)

淡路島の左官 久住 章



実験会で技術をオープンに

55~56歳(2003~2004年)。
滋賀県守山市において、地元の左官である小林隆男氏主催による「磨き大津の実験会」を開いた。この目的は技術力のある講師が指導するというものではなく、参加者の出身地で採取したそれぞれの粘土を持ち寄り、自分自身の判断で仕上げることに意味があった。そして互いの違いを知り、そのなかから問題点を発見してより良い技法へと発展させることを目指した。

自分ひとりでの実験では成しえない経験を積むことで、成果を得るための時間を短縮することができる。この実験会を通じて、「磨き大津」に使用できる粘土が、各地に多く存在することがわかった。また、伝統的な技術以外の新技法の発見もあった。この会が実証したように、さまざまな技術をオープンにすることが、いかに重要であるかわかるであろう。



交流会での大きな成果

57歳(2005年)。
兵庫県篠山市で篠山左官技術研究会が主催する「左官と鏝鍛冶の交流会」が始まった。最初の目的は、「消えゆく鏝鍛冶を守ることが、伝統的左官技術を守る」というひっ迫した課題として捉えた。同時に我々の左官技術を全国的レベルで向上させ、差し迫った文化財修復工事に対応したいということであった。

最近特に、磨き用押さえ鏝、聚楽壁用のり土用鏝、水捏ね用撫で鏝の消費が落ち込む時代背景のなか、鏝鍛冶と左官職人の対話によって、昔の名人鏝鍛冶を目指して新たに鏝作りに励んでいる。具体的には鏝鍛冶の名工として名高い、京都の「丸二、三ツ星、丸中」、大阪の「ヤマサ」、東京の「兼定」に迫り、乗り越えようという試みである。その意欲的な兵庫県三木市の鏝鍛冶を紹介する。

●杉田工業    Tel/Fax 0794-82-5354 工場Tel 0794-67-1471
●梶原製作所   Tel 0794-82-6236  Fax 0794-82-6262
●五百蔵製作所  Tel 0794-85-1489  Fax 0794-85-1689

現在、上記の鏝鍛冶により、昔日を凌ぐ鏝が製作されている。なぜ凌ぐといえるのか? その具体的な説明については別の機会に取り上げる。

いずれにせよこの交流会を通じて今までになかった鏝鍛冶と左官との親密な関係が築かれ、三木の鏝鍛冶の技術力を一挙に押し上げて進化させていることは間違いない。また左官の技術面でも交流会を重ねるたびに、方法論そのものが改善されて成功率が上がっている。さらに材料においても良質な「砥の粉」や「油煙」を特定することができた。これまで個人的に進めていた技術が、交流会への大勢の人の参加により、短時間で多様な結果を知ることが可能になり、現在も進化し続けている。

特に印象的なのは2006年の秋の交流会における京都の若い職人の仕上げである。彼にとって漆喰黒磨きはたぶん初めての経験と思われ、磨き用鏝一丁で参加してきた。つまり、塗り付け、こなし押さえ、磨き押さえを鏝一丁で行ったのである。

その仕上がった表面を観察すると、若干凹凸があるにもかかわらず無地で艶がそろっていた。普通この状態では色はそろわないのが常識なので、私自身すぐにはこの現象を把握できなかった。もちろん当の本人も、何のことか理解できていなかった。

この常識にあてはまらない原因を理論的に完全に解明できたなら、とんでもないことになる。「普通の技術力で漆喰黒磨きを仕上げることができる」、つまり伝統的な高度の方法論がくつがえされて、その再編を余儀なくされるということになる。これは、「初心者は技術力が低い」からといってあなどれない事実例であり、技術力の高い職人の驕(おご)りは禁物であるという反省にもなった。

「職人は常に誠実に謙虚な心で、技術に向き合わなければいけない」。また私自身は28歳の時に弟子の植田俊彦氏(淡路島の左官)より受けた印象を再び想い起こすことになった。



磨きの実験と教わる楽しさ

58歳(2006年)。
7月、滋賀県守山市の左官・小林隆男氏より電話連絡があった。「油煙を日本酒で溶くと、黒磨き大津は簡単によく艶を出せた」との報告だった。早速、上等な日本酒「天狗舞」で油煙を溶いてテストしたが良くなかった。そこで再度、小林氏に聞くと、彼の使用した日本酒は「新潟一番」ということであった。

私がテストした「天狗舞」で油煙を溶くと、翌日には白いカビが生え、3日後には緑色、7日後には赤色、10日後には黒色の大量のカビが生えた。この現象にくらべ、「新潟一番」は1ヶ月経っても白いカビが少し生えた程度と聞いた。詳しくはないが日本酒には多様な種類があるので、「油煙を溶くために適した日本酒」は、ほかにもあると思われるが試していない。

11月1日から数日間、岐阜県飛騨高山の左官・挾土秀平氏のアトリエを訪ねた。彼は新潟県豊栄市の左官・宮澤喜一郎氏が作った「黒ノロ」(7年間練り置き)を使い、蔵の窓・扉を「漆喰黒磨き」で仕上げていた。それは初めて見るすごい艶の出た漆喰黒磨きだった。

この蔵は5年前に施工したが、今日まで「白華」(はっか*8)は少しも発生していないとのことである。しかも「面白」(めんじろ*9)も綺麗に仕上げられていた。黒ノロの長期間の練り置きの成果ばかりでなく、「極上の墨」を使ったと以前宮澤氏から聞いた。

この驚くべき艶のある壁は、挾土氏によれば1㎡ぐらいが限度であり、大きな壁は難しいとの意見であった。またその後の研究は進めていないということであった。挾土秀平氏は私(久住章流)のやり方で、石ほどには艶が出ないが大きな面積でも何とか無難に仕上がる方法と、挾土氏自身の施工方法の両方の特性を活かして、実験してみるといってくれた。それにしても挾土氏の使う「黒ノロ」は逸品で私も欲しい。

世間には「上には上がある」というが、人知れず能力を持った職人がどこかにいるものだ。私の今までの磨き壁研究において、植田俊彦氏からの助言が果たした役割は大きい。植田氏とは、「弟子に教え教わる」関係が久しく続いてきたという喜びがある。

また最近では、兵庫県篠山市の南俊行氏、東京都練馬区の小沼充氏、三重県伊勢の西川和行氏、鈴鹿の松木憲司氏、伊賀上野の多羅尾充男氏、先の挾土氏、小林氏、宮澤氏、埼玉県野火止の加藤信吾氏、東京都文京区の榎本新吉氏等との親交を通じて、教わる楽しさを噛みしめている。



先人たちに敬意を

59歳(2007年)。
11月17日、南俊行氏の呼びかけで、篠山市河原町の民家改修工事のボランティアに12人の左官職人が集まった。塗り壁の課題は浅黄磨き大津と地元の中塗り土による磨き大津である。

最初は工程順に進めた。上塗り材(引き土)を塗り進めたところ、磨き押さえの早い段階で表面に引き起こし現象が発生した。これは2種類の粘土とも同じだった。そこで途中、この引き土に「伊勢磨き」に使用した真砂土80#を1割混入した引き土にして、上塗りし磨き押さえを行うと、とたんに鏝のすべりが良くなり無理なく仕上げることができた。真砂土80#の代わりに寒水石80~100#でも同じ効果が認められた。

このように、「ほかの磨き工法とクロスオーバー」させることで、より効果的に問題点の解決が図れるが、一方、ひとつひとつの磨きの技法の持つ特徴が薄くなることも否めない。特に最近、各種の講習会を通じ、多種類の磨き技法が公開されている。これを修得するなかで、「表面的に綺麗になれば良い」と安易に考えたとしたら大きな問題である。それぞれの技法が持つ歴史的な方法論によって醸し出される、独特の美しさを深く理解した上での選択が強く求められる。あらためて我々は常に先人たちの歴史に敬意を払わなければならない。



おわりに

初めて磨き仕上げに挑戦したのが28歳の時であった。それ以来30年間、さまざまな種類の磨きを研究し、実験を重ね、経験してきた。が、未だに一種類の磨きを完璧に成し得ていない悔しさが心に過ぎることがある。やはり、「二兎を追うものは一兎を得ず」なのかと自問することがある。




*編集室注
8白華  エフロレッセンス。遊離石灰が表層に浮き、白っぽく色ムラの要因になる。ときに白く粉立ちする。
9面白  一例として黒磨きのコーナー部位を細幅(幅2〜3分)で白磨きにすること。

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