木村謙一氏連載1

左官的塾 web

塗り壁の文化を伝える

| HOME | 連載一覧 | 木村謙一氏連載1 |

物件No.1「湘南台文化センター」外構の地層壁 久住章氏(作)1989年頃

美術仕事人 木村謙一


ちょっと困ったのだけれど、「左官的塾」のご依頼にお応えし、しばらくの間、連載をさせていただきます。

毎回何枚かの写真と、できるだけ少ない言葉を用いて、実際に存在する「美術的左官物件」を美術屋の視点から、「かるーく」論じていく・・・というスタイルでやってみます。

筆者は「作り手」であり、評論家ではありません。そこのところを割り引いて読んでいただき、尚且つ「こいつは許せん!」ということになれば、反論等は「左官的塾」宛にお願いいたします。

木村謙一写真 1.jpg
写真1 
この写真は、たぶん1988年か89年の夏です。
長谷川逸子氏の設計による「湘南台文化センター」の第一期工事が終了し、オープンしたての頃です。この壁は筆者にとって「衝撃的」でした。「左官でこんなことができるなら、スゴイことになる」。ものすごく大きな可能性を感じたのです。


木村謙一写真2.jpg
写真2
2番目の写真も地層のようなデザインですが、青や黄や緑のラインが入ったりして、ファンタジックです。
美術的左官というと、擬木や擬岩、あるいは鏝絵のことをよく言われます。しかしながら、擬木や擬岩は、どれを見ても「やめとけよ」と言いたくなるような物件ばかりなので無視します。デザインの意図が木とか岩とか自然界の何かであった時、本物を目指して作る、あるいは本物に見せようとして作った場合、本物に近づく能力が小さい場合はムザンな結果になり、本物に近づく力量があった場合は、うす気味悪いものができ上がってしまいます。(そのどちらでもないものは、非常に稀です)


久住氏のこの仕事は、ハナから本物を目指してはいません。地層あるいは断層を発想の源にしながら、別の方向へ向かっています。直線と非直線、肌合い、色彩という抽象的エレメントをコントロールしながら、楽しく遊んでいます。そして、建築外構の一部として、どうしても定規の線が多くなりがちの構造物と、植物など自然のものの間を「取り持とう」としているかのようです。初めて目にしたワクワクするような「美術的左官物件」でした。

木村謙一写真3.jpg
写真3 
次の2枚の写真は、2003年頃に撮影したものです。同じ場所です。
これは、「湘南台文化センター」そのものの存在が、どうなってしまったのかを物語っている悲しい写真でもあります。無能な行政関係者の責任は、どこかで追及していただくべきですが、作り手としての設計者や制作者にも、長年にわたる雨水の影響を予見する知恵もある程度は必要かもしれません。

木村謙一写真4.jpg
写真4
風雨にさらされる中での「美術的左官」の難しさです。長い年月を経た土壁や石積みには、風雨にさらされて後、楽しい音楽を聞かせてくれるような物件が数多くあります。もちろんそれらはデザインだの美術だのを意識せずに作られたものなので、単純に比較はできませんが、そういうものもあるということは一考に値するでしょう。

筆者がここで言いたいのは、敢えて今後も美術的に左官を考えてやり抜こうとするならば、その人には才能も知恵も経験も充分に必要であって、さらには、施主や管理者や設計者や通りすがりの「観客」にも「モノを見る目」が求められていくだろう、ということです。文化のレベルが高くなるためには、「作者」と「観客」と「その間に居る人」、三者の存在が不可欠なのですから。



最初の写真をもう一度よく見て下さい。壁は、手前の人工小川で海パン姿で遊ぶ2人の少年の、実にいい背景となっていて、若い女性2人は、あきらかに、壁を見て「何か」を感じているようすです。

「美術的左官」に未来はあります。その世界を切り拓いた、久住章氏40歳前後の時の作でした。


<読者の皆様へ>
「この物件を是非見てくれ」という情報提供を歓迎いたします。交通費付きだともっと歓迎いたします。(笑)
毎月ひとつの物件を論じる連載は、なかなか労力が要ります。いろいろ手助けいただければ幸いです。
筆者のことを「何者だ?」と思われる方は、ホームページをご覧下さい。「晴れやか美術計画」で検索できます。
http://www.hareyaka-ap.com

連載一覧へ戻るLinkIcon