新著「左官礼讃Ⅱ」の発売に寄せて
みなさん、「左官礼讃 Ⅱ」が5月発売になりましたね。嬉しいなあ。前作「左官礼讃」が発売されたのが2001年。ですから、あれから9年経ったことになります。ご存知のように「月刊 さかん」の編集長小林澄夫さん(元「月刊 左官教室」編集長)の新著なんです。前作のときは、老師榎本新吉さんや当左官的塾主宰者久住章さんたちが呼びかけて、出版する会を立ち上げました。ここに多くの方が共鳴して1冊の本になったときは、ひとしおならぬ喜びでした。前作、「左官礼讃」は「月刊 左官教室」(出版元/黒潮社。’07に廃刊) に連載“今月のことば”欄の風水師、つまり小林澄夫さんの文章の大切さに惹かれ、これをまとめて著した本でした。したがって、その中身は「月刊 左官教室」の購読者にとって1度ならず読んでいたことになります。しかしながら、雑誌は読まれたのちは誰かに譲ったり捨てられたりします。現在、ぼくの本箱には450冊ほど収まっています。これはこの雑誌が左官情報資料として貴重なほか、左官屋さんの身近な話題から、はたまた小林さんの肩に乗っかって、遠く見知らぬ左官の世界へいざなわれるような、その感触から手離せなくて部屋のあちこちに積んでのこしていたおかげです。 「左官礼讃 Ⅱ」発売を知り、すぐに数冊、石風社(出版元)に注文しました。たぶん、手に取って読みすすむうち、だれかに勧めたくなると思ったからです。前作のときも30冊超えましたけど、手元に1冊残してすべてゆずりました。
さて、「左官礼讃 Ⅱ」が届けられた郵便物のなかに、石風社出版担当・中津千穂子さんの刊行に寄せた一文が入っていました。この本のご紹介に相応しく、左官的塾webの“左官的塾の本棚”欄に掲載させていただきました。 さらに前作、「左官礼讃」の書評コピーも入っていました。新聞記事文ですから、全文は控えますが、小林澄夫さんをよく知る方の内容ですから、一部分転記してご紹介します。
「------戦後、正確には大阪万博以後に始まった土と漆喰の暗黒時代に、土と漆喰を愛する者にとっての孤島の灯台の役を果たしたのが唯一の専門誌「月刊 左官教室」だ。小林は、この雑誌の編集を担当するかたわら、全国各地の漆喰窯を訪れ、土を手にし、左官をたずね、古今のすぐれた左官仕事を探り、そうして得た知見を巻頭言として書き続けた。それが、各地方に根を下ろして黙々と壁を塗り続ける左官職をどれほど励ましたか分からない。そうした文を集めたこの一冊は、土と漆喰による日本の建築文化の全体像を知る格好の入門書であり、また、暗黒の時代から復活の世紀への導きの書の役を果たすにちがいない。------」。
引用:「『共同配信 読書』欄、書評は藤森照信・建築史家」
書評された藤森照信さんは、久住章塾主と懇意な方。初設計は故郷の諏訪大社神長館守矢史料館、その内外壁の擬土仕上げは創意と野趣に富んで、ぼくにはそのテクスチャーでクギ付けになった思い出があります。ですから、その後の作品、たとえばタンポポハウス、ニラハウス、秋野不矩美術館、熊本県立農業大学校学生寮へと訪ねては見惚れ、氏のご本を読んではパァーッと明るい陽射しを浴びた気分になりました。あるとき、「ほほう、アンタは左官屋さんかい。じゃあ、久住くん知っているかい? で、この壁どうだい、どう見えるかい?」って、守矢史料館の擬土壁の前で気さくに訊かれたことがありました。久住さんが川久ホテル工事に掛かっている頃か、もっと後だったか、記憶がかすれるほどの昔話ですが。
さて、ホームページ左官的塾は立ち上げて1年を経過しました。これまで、左官職に慈愛のまなざしと指針を与え続けてこられた両氏はじめ、ご協力いただいた会員、読者とのご縁を大切に、この不況の時代の、とかく暗くなりがちな世相に負けず、真摯な投稿記事を中心に編集に務めたいと存じます。編集後記が新著「左官礼讃 Ⅱ」のご紹介のようになりましたが、左官屋、左官に関心持つ方にとってはビッグニュース。あらためて皆様に感謝の意とともにお伝えし、今後とも久住章塾主に導かれて励みます。
追記
「左官礼讃 Ⅱ」の何篇かはすでに過去に読み、何篇かは初めての記述かな、と愛しみながら読み終えました。でね、いや記述のすべては過去にすべて読んだことがあるような、いや情景のすべては澄みきってすべてがまっさらのような、時空をこえた読後感に浸りました。「月刊 左官教室」から「月刊 さかん」へと小林さんの職場は移りましたけど、変わらぬ人の変わらぬ批評精神、左官へのふくいくたる愛情・・・めぐりめぐる季節のしっとりとした慈雨のような味わいでした。いまごろ小林さん、どのあたりに取材旅行しているのかな、それとも部屋で寝っころがって天井でも眺めているのかな、と。
2009/05.18記
蟻峪佐平
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