「パック」座談会記録
美術仕事人 木村謙一
この記録は、久住章氏が呼びかけ人となり、2007年10月22日に、東京都文京区の榎本新吉氏いきつけの喫茶店「パック」で行なわれた、世にも珍しい「左官座談会」をまとめたものである。
パネラーは、久住 章(兵庫県/左官)、原田 進(大分県/左官)、小沼 充(東京都/左官)、挟土 秀平(岐阜県/左官)、木村 謙一(東京都/美術仕事人)の合計5名であるが、挟土氏は途中からの参加であり、また、これは当然予測されたことであるが、榎本新吉氏(東京都・名左官)が時折乱入なさるし、小沼氏はなかなかしゃべらないし、参席された方々からの自由な発言もある。パネラー以外の方の発言も、お名前がわかる限り記し、最後に紹介も入れたが、お名前がわからない発言もある。録音の中で聞き取りづらい発言は、割愛させていただいたものもある。
なお、「パック」のあと宴席へ移動して、続きを30分程行なったものも含めて、ここにまとめたことをおことわりしておく。
久住 ご存知のとおり、この9月で「左官教室」が休刊するということなんですが、日本国中から「なんとか、このような雑誌を維持してほしい」という、非常に大きな要求があるわけですね。もちろん、新たな雑誌を立ち上げるには、我々は力量不足ですが、新たな時代に新たな本を、メディアを作りたい、と、こういうわけです。小林(澄夫)さんには、もちろん関わってもらって、アドバイスをもらうわけですが、本日はとりあえず、原田進君と、挟土秀平君と、小沼充君とボクとで対談をしてみよう、と思うわけです。それから、木村謙一君にも、ちょっと特殊な立場で加わってもらって・・・。
木村 ( いきなりなのでビックリして )では、ちょっとだけ・・・。
久住 今日のテーマは、まず「技術の問題」、「素材と道具の問題」、「歴史と美術の問題」ということで、最終的には「左官の未来に向かって」という感じでやりたいと思います。 さしあたって、我々の一番大きな問題である「技術の問題」から、パネラーの皆様から一言ずつお願いします。
原田 土を扱っているとね、土のいいところ、すばらしいところが見えてくるんですが、それはあいまいなものなので、それをちゃんと数字にしたりした方がいいんじゃないかな? それは、左官だけではできない。そこで、大学の先生とかデザイナー、プロデューサーのような人たちに見てもらってね・・・。 今、密かにやりはじめてるんですが・・・。
具体的には竹をね、割竹をね・・・これ、言わんとこうかな(笑)。でっかいカゴを竹で作ってね、それに土を塗って、中で住んでみよう、という実験なんですが、大きさは直径が3~4m、高さは、一番高いところで2.5mくらいの半球の形。その横に塔を建てているんですが、高さが6mあります。山の中で、なんかあやしげな新興宗教のようですが(笑)、こうしてね、形にすると、「こうした方がいい」とか「こうじゃない方がいい」とか出てくると思うんですね。例えば若い夫婦が住んでみたくなるようなカッコイイ空間を作ってみたいんです。
久住 「被害者」はもう決まってるんですか?
原田 「救われる人」の候補は・・・( 会場爆笑 )、「救う」んですよ! 3組程います。ジッとしとこうと思ったんやけどね、このお盆あたりから、「やってみよう」と思うようになったんですね。親方(久住氏のこと)は最近、「漆喰、漆喰」って言うけど、ボクは、やっぱり土だなぁ、と思うんです。ボクは土の可能性を感じるんだけど、「なんとなく気持ちいい」っていうだけじゃ広まっていかない。これをやり出したらね、あの20代の時、親方のところへバイクででかけた時のワクワクするような気持ちが、まぁたね、起きてきたんですね。人生で2回目ですね。
久住 また狂ってきた——。
原田 プルプルしてきた。
久住 小沼君もなんかプルプルするようなこと、ありますか?
小沼 別なところがプルプル・・・。
( ここで榎本氏乱入 )
榎本 小沼君はしゃべるのがヘタ! あの青松寺の藍色の壁!琉球藍のあの色を出すためにドロをどうするかって課題があったの! それで滋賀の小林(隆男)君のところに電話して、江州白をなんとかしてくれって、そして、小沼君に「送ってもらうんじゃダメだ、取りに行け」って・・・。そしたら取りに行くんだけど、そのあたりの話をしたら感動があるんだよ!
小沼君はちっともしゃべらない! ドラマを話さなきゃいけないんだよ! オレの泥だんごにはドラマがあるんだよ。ただの泥だんごじゃねぇぞ! オレは80だよ。もうあとがない。そんで、ケンカやっておしまいだ!
久住 いやいや、あと20年くらい大丈夫でしょう。
榎本 原田君が言ったろう? 久住君のところへ出かけたって・・・。オレも久住君に出会った時、淡路島行って、東京に帰りたくなくなっちまったんだよ。それが、こうやって有名にしてくれたのが、小林(澄夫)君と久住君! 有名にしてくれて、ありがとよ!
久住 いやいや、東京でね、これだけ若い人が育ってるのは榎本さんの力やからねぇ。ところで、小沼君のあの「軍手磨き」ねぇ、あれを開発したのは見事ですよ。画期的ですよ。
小沼 ( まだしゃべらない )
木村 小沼君のかわりに、一言いい? ボクは、小沼君と組んでいろいろやってますけど、今年展覧会をした時に、小沼君に作ってもらった大津磨きのパーツを作品の中に入れてみたんですけどね、その会場は、ちょっと問題があって、作品のパネルを壁に「仮り止め」しかできなかった。するとやっぱり、土を塗った大津磨きのパネルは重いから、たびたび壁から落下してしまう。でも、1mも2mも落下して、カドはこわれてしまうけど他はなんでもない。「磨き」って強いんだなーと実感したわけです。「磨き」って「光らせる」っていうよりも、「土を強くしたい」っていう左官の祈りなんじゃないかって思ったんです。
榎本 遅れてんなぁ! オレは前から、大津壁は強い、強いって言ってんだぞ。大津壁を削り包丁で削ってみな! 削れねぇぞ!
久住 あかんなぁ。怒られっぱなしやなぁ(会場爆笑)。
ところで、ボクは最近兵庫県の丹波篠山で講習会をやっています。その動機はね、左官の使ってるコテの95%は兵庫県の三木で作ってるんですが、そのコテ作りの後継者がたった2人しかいない。この人たちがやめたらね、伝統的な仕事が事実上できなくなってしまう。鍛造で作った伝統的なコテを残すにはまず、伝統的な仕事を知ってもらう。一番簡単なところでは「漆喰磨き」であるとか「聚楽壁」であるとか、そういう講習会を開いて、そして、コテを見て、買ってもらう。で、買ってくれる人が増えたら、鍛冶屋さんもまた、作るんですね。
そういうことから講習会をやることになったんですけどね。今、非常にこれが好評で、毎回全国から100人近い人たちが参加してくれる。交通費、宿泊費、講習会費を自ら払って、これだけ熱心な人たちが居るということは驚きでしたね。しかも若いんですわ、20代とか30代とか。それが一番嬉しい収穫でした。
講習会は、奥田さんと佐藤さんと浅原さんとボクでやってるわけなんですが、同時に4人がやる。これがおもしろい。普通、講師は1人というのが一般的やけど、この講習会は、見る人は一度に4人の「磨き」や「聚楽」を見ることになる。これは大変で、見る方にもレベルが要る。そしてね、「ひとりひとり違う」というのがわかる。ひとりひとり、やり口や考え方が全く違う、というのを知ってもらうことができた。「教条主義」にならない。こういう講習会を、東京とかね、いろんなところでできたらいいなと思ってやっております。
次は、今問題になっているあの「赤福」の竃の磨きをやろうとしてますが、実はこれが漆喰でも大津でもないんやな。聞いたところでは、ノリは入れない。下地は漆喰にマサ土入れるっていうんですね。赤福をやっている西川君に来てもらって聞いてみたらね、仕上げのノロは石灰にベンガラだけなんよ。大津でもなければ、通常のノリの入った漆喰でもない。それでキレイに上がるっていうのは、ボクはビックリしてね。
そのマサ土を入れる理由ってのが、とんでもなくってね、モロッコのタデラックっていう技法があるけど、それに原理が似てるんですわ。花崗岩の石というのは柔らかくて、簡単につぶれる。それを石灰に入れて塗ると、石がどんどん圧縮されて、つぶれていって、メがつまったものになっていくらしい。上にノロかけて磨くんですが、磨きながらもつぶれていって、どんどんツヤのある壁ができる。そういう不思議な技法なんです。日本にはまだまだ不思議な技法があるんやなぁと思うてね。
ところで、小沼君のあの磨きどうでした?(曲面オブジェの軍手磨きのこと)
小沼 今回は15人弱で1日でやりました。そして、「つなぎ目」がわからないように、できました。2回にわけてやったんですけど、つなぎ目は一切わかんない——。
久住 それは、時間をおいて、つないでも?
小沼 その日のうちなら、わからないようにできます。竃の大きいのをよく磨きますが、つなぎ目はあとから見ても一切わかりません。
久住 それはスゴイ! 日本のやり方ではなく、イタリア的ですよ。今度やってよ! どんな形がいい?
小沼 あのやり方なら3次曲面でもできますから、どんな形でもいいです。
久住 難しい方が燃える?
小沼 そうですねぇ(笑)。
久住 材料の話をしましょう。
小沼 先程、久住さんがノリの入っていない石灰の磨きのことを言っておられたけれど、私も一度やったことあります。ノリが入ってない方が、いつまでもコテが当たってよく光ります。たぶん、下地が水持ってたら、ノリが入ってないノロはいつまでもいじくれる——。
久住 さっきの「赤福」も、どうやらそれですね。やはり、小沼君の興味の対象は磨きの材料やね。他の材料では、何かありますか?
小沼 私は、自分で探究するというよりも、自分に投げかけられた無理難題をなんとかするっていうのが好きなんですね。青松寺の磨きも、どうやって大きくしていくか、考えるのが楽しかった。木村さんと組んでも無理難題が来るので、じゃあ、どうしようか——?という感じ。そこから材料を探すとかなら、やりますけど、自分からこういうものが作りたい、というのはあまり無い。
久住 お客さんの要求に、どんなことでも応える、という職人にとって最も重要なことやね。
小沼 できません、とは言いたくない。
久住 原田君、材料の話、何かあります?
原田 ボクは土が好きで、土を固めることしか考えてないんやけど、「酵素水」という水があります。肥えだめの水が土の中に入って浄化されたものが「酵素水」なんやけど、それを土と混ぜると、あんばいがいい。そういうことから水をもう少し探ってみるのも必要かな、と思いますね。
あとは竹ですね。竹は、わかってないことが多い。竹も「新月切り」というのがあるらしい、一度やってみようってことで竹屋さんに案内してもらって、うちの若い連中連れて新月の日に切りに行きました。竹は4年もの5年ものがいいって、言いますけど、ボクは竹薮に入って、どれが4年じゃやら、5年じゃやら、区別がつかない。それを、竹屋さんは、いとも簡単に「これが4年じゃ」「これは5年じゃ」と見分けるんです。大分は竹の多いところです。日本にはマダケだけでも200種類くらいあるらしい。竹についての知識をもっと持つべきやないかな、と思います。
縄もそうですね。もち米の藁縄が粘りがあって強いと言いますが、その辺も今から確かめていかんとね——。
久住 竹の話でね、高知行って久保田さんに聞くと、あの辺はマダケやなくて、ハチクやっていうのね。弓の産地で、弓にはハチクを使うらしい。ハチクの方が「しなり」がいいらしい。
ところで、丹波篠山でも今度「竹の家」を作ります。バンブーハウス。今、杉の植林地に竹が入り込んで困っているらしい。しかもそうとうな量らしい。そこで、なんとか竹を有効活用できないか——と。バンブーハウスというのは、東南アジアで主にやってる技法なんですが、竹木舞に漆喰を塗るとかいうことはやっていない。今回は、バンブーハウスに漆喰を塗って、キレイに仕上げよう、リッチに見せようという発想です。
また、東南アジアでは米糊といのが大変安く手に入ります。将来日本では海草糊が採れなくなるんじゃないか? 大変危険な作業で、お年寄りしか採取作業をしていない状況を考えると、近い将来海草糊がなくなることが考えられる。そこで、米糊でいっぺん実験しとこう、という計画です。
「資源を大事にするモノ作り」。そういうことを考えても、竹を使うこととか大事ですね。100年200年ではなく、木造住宅でも、300年もつ家を考えんとね。丈夫で長持ち!
石灰は昔、高価だった。ゼイタク品だった。でも今は、売れなくて困っている。日本に豊富にある石灰岩を使って、漆喰を使って、中の荒壁から全部漆喰を塗る、とかね。
ヨーロッパなんか、台風も地震も無いのに、柱は30cm角くらいのを使ってる。しかもドイツなんか、1mおきに入ってる。入口のところだけ2m。しかも壁の厚みは25~30cm。壁の厚みは20cm以上ないと、断熱効果は無い、と言われている。日本の木造住宅は弱すぎる。これは、大工さんだけでなく、我々左官も考えて改革していかんとね。
例えば、木舞下地の上に土を塗る、という時でも、「いい土」を使うと、耐震強度は3倍くらいになる。土の質の差にそのくらいバラツキがある、ということです。一方、竹木舞は、そんなに強度にバラツキが出ない。一般的な方法で、しっかりした縄を使っていれば、スジカイ並みの強度は出る。そういうことであれば、竹木舞に石灰を塗る、そうすると、土のように品質に差は出ない。こういうようなことから、丈夫な家を目指して我々から提案していく。
これまでの漆喰は薄塗りが多かった。2~3mmとか、砂漆喰でも10mmくらい。今から800年前に建った京都伏見の日野西というところに法界寺阿弥陀堂というお堂があって、そのお堂は、荒壁をなんと全部漆喰で塗ってあるらしい。これは文化庁の調査で壁にファイバースコープをつっこんで調べたらしい。800年間なんの問題も無く建っている。800年を1000年にするのはたいした問題ではない。だから、漆喰メーカーと協力してね、「漆喰千年計画」というのをね! わっはっはっは。たとえ柱が折れても、壁でもたせてやろう!とかね、そのくらいの気持ちでやらんと! そうすると左官の未来はひらける。
漆喰もね、石灰岩焼く時は二酸化炭素を出しますが、固まる時に二酸化炭素を吸って固まるという、律儀な材料なんですわ。これをプラスマイナスゼロやなくて、固まる時に二酸化炭素を倍くらい吸わせることができれば、すごいエコです。
また、薄塗りの漆喰は建物を壊す時に回収が難しいけど、ドカッと10cm塗ってあれば、回収が可能です。今のところ、技術開発できていませんが、この回収した漆喰をもう一度焼いて石灰を作れたら、すばらしいことです。
世界中の土の建築を見ると、土の家は、住む人が自分で作る、というのが主流です。土は専門能力が無くても扱える。ところが、漆喰は専門能力が要る。プロとして、左官という職業を残すためにも「漆喰千年計画」、どうですか?
木村 いやあ、柱が折れても壁でもたす! その気構えがスゴイ!
久住 大工に言ったらバカにされるでしょうけど(笑)。
榎本 「ビルが壊れても、壁は残る」って、オレは前から言ってんだよ。久住君が考えてること、だいたいオレと一緒だな。
久住 ボクは風呂敷広げるのが大好きなので、こういう話になってしまいましたが、何か未来に対して展望を作らないと、先が見えないでしょ? ホラ吹くのがボクの仕事かな? 皆さん、金持ちが居ったら、提案しなくちゃいけませんよ。「坪300万かかりますけど、ボクにやらせて下さい」とかね!
小沼 二酸化炭素を吸うっていうのは、いいですよね。
久住 そうそう、でも実は、石灰が二酸化炭素を吸うっていうのには時間がかかる。だから、 無害で短期間で二酸化炭素を吸着できるバインダーのようなものが必要でね。その開発と、リサイクルの技術の開発ね、この2つができたら、すぐにできるんです。
(原田進氏を向いて)あとから、土壁の逆襲をしてや!
原田 逆襲じゃないですけどね(笑)。やっぱりデータというのが必要ですね。数学で説得せんとね。それは左官屋ではできない。だから、いろんな人をね、だまくらかすんじゃなくて、協力してもらってね。
他のことでも、例えばデザインということに関してもね、デザイン力に優れた左官屋はやっぱり少ない。だから、デザインをちゃんとやってる人にからんでもらって、我々はそれを実現する、そうするとスゴイのでできる、と思うんねぇ。今までは、こちらから、そういう人にからんでいくことはしてなかったけど、これからは積極的にからんでいかんとね。(久住)親方があれこれやっておられるけど、「あの人は特別やん」ってことになってしまうから、みんながそういう気持ちを保ってやっていかんとね。
木村 小沼君はボクに仕事をくれるんですよ。お施主さんが何か特別なことを要求したりした時にね。
小沼 私はそういう時、具体的に提案するというより「木村さん」を提案します。
榎本 木村君みたいなデザイナーを買収しなくっちゃダメなんだよ。
木村 「買収」ですか——(笑)?
榎本 マスコミをひっかけたりしなくちゃダメなんだよ。マスコミを一番ひっかけてんのが挟土君なんだよ。
( 挟土秀平氏、パックに到着)
榎本 小林(澄夫)君! 詩人にならないでっ! みんな横のつながりだよ!! 時間ないんだよ!
石本 原田さんの言われた「酵素水」についてですが、肥だめの酵素水はわかりませんが、あまり良い状態でない酵素水で約3%、良い状態だと7~8%、土の強度が上がるというデータが出てます。
原田 もう、出てるんですか!
石本 石灰に関しては、エジプトですね。ピラミッドでは、石と石の間に石灰を使っていて、これは4000年もってる。消石灰よりも、生石灰の方がもっともっと強度が上がります。 それから、未消石灰を混入すると安定しますね。石灰は、いろいろおもしろいので・・・。
土も、プラスイオンを出すとかマイナスイオンを出すとか、同時に出すとかいろいろありますね。ですから、病院には土を使ったらいい、とか、考えられますよね。
原田 そうです! 実はね、病院にその土のドームを提案しようという話があります。待合室にこういう土のドームをこしらえてね、お医者とこまで行かんと、その前に良くなって帰る(笑)。これをやろう!と。九州チームでその話をしとるんやけどね。
石本 水の話。水の分子の大きさが通常の1/3くらいだとよく混ざる——という話があります。
原田 そうそう、水の話でもね。石灰は気硬性やけど、水と充分混ざっているかというのは、ポイント。データがあるといいね。
石本 データはすぐ出ますよ。水の分子の大きさとか、県の試験場ですぐ出ますよ。小沼君とか白石君とか、実践してますよ。
白石 久住さんのさっき言われた漆喰を厚く塗るっていうのも、ボクも正田醤油で平均5~7cmやったんです。
久住 それはすごい!
白石 ですが、昔の土蔵は、だんなさんが居て、塗りかえるってことが前提だった。厚く塗ると、塗りかえができない。上から塗っちゃうことはできるけど、問題も出る。
久住 たまたまアメリカの科学テレビの番組でね、川が氾濫してその水が海に到達すると、海にある植物性プランクトンが大量発生して、たくさんの二酸化炭素を吸着する——という話をやってたんですけど、それは、ひょっとしたら尿素ですね。
ボクは化学知識はないですけど、石灰に、何かそういうものを反応させるとね、石灰の二酸化炭素を吸着する量をもっと増やせるんやないかなと——。なんか、そういう情報があったら、みなさんスイマセン!
ちょっとテーマを変えて、美術のこと。土壁とかジメーッとした世界の中にいる時にね、昔の西洋建築の装飾を見たら、なんか、飲み屋のキレイなおねえちゃんを見たようなショックを受けた。そこで、26才頃から、自分でデザインして、暖炉の装飾をしたりしはじめて、32才で小林さんに出会って、東京のいろいろな建築家と知り合って、そういう意欲あふれる建築家の要望に応えるとか、もっとこういうことができますよと提案する中から、新しいことをどんどんやってきたわけです。
日本の大工の世界っていうのは、職人の腕が10点満点のうち8点ないといけないんだけど、ヨーロッパでは、4点とか5点でいい。建築の理論そのもののレベルが高いから、仕事はまぁ雑でもいいですよ、と。で、ボクは一見華々しく、いろいろやってきたように見えるけど、実は、やり方さえわかれば、4点でも5点でも誰でもできるようにしてやってきた。
ところで、秀平ちゃん、そのあたり、どうでしょう——?
挟土 ボクのデザインがいいのか、悪いのか、それはわからないんだけど、作ったものが「生きてるか、死んでるか」ってことをいつもテーマにしてる。
壁塗る時も、多少問題があっても「これで、いい」ってバッとやめて、あとは「素材力」、土に任せる、とか。こういう肌っていうのはあらかじめ決めておいて、用意周到にして、あとは一気に塗って、ザッと引く——そういう方が誰が見ても良く見える。
あと、デザインのことでいうと、いっぱい飾りたてるのは、日本人の感性に合わんので、ちょっと引いたところで、やや抽象化したところで表現する。何かひとつデザインテーマがあったら、どこまで削げるか、を考えて、削いだ中でやってみせる。
あとはプロデュース能力で、どういうストーリーを作ってなぜこういうデザインなのか、「意味」を自分の中で持ってたら、そして、それに「命」があったら、お客さんは納得する。
色については、あまり考えん。顔料使っていろいろやると気持ち悪くなるので、自分の持ってる土の中でやると、土どうしは合わんことはない。そして、あえて不揃いの、工業製品とは「真逆の」事件の起こるような壁、を狙う。
久住 「事件を起こす壁」なんや!
挟土 そう。例えばスサの繊維の流れと、石のつぶのバラツキで「ここ、いいな」と思ったら、なんでそうなったのかを考えて、基本配合を作ったら、その流れの、不思議なヤセ方の肌ができるその「事件」を一気に狙う。あとは、例えば、ステキなスス竹の古いのがあったら、それを90cmに切って廊下をずっと続けたらいい、とか、そういうプレゼンですね。
デザインが先にあるんじゃなくて、素材からデザインにするっていうか、見た素材に先にリードさせて、デザインして、やっていく。無理しない、ということ。
久住 お客さんとの関係はどうなんですか?「要望」を持っているお客さんって、いるでしょう? そういう人には、どういう風に合わせるんですか?
挟土 なんか、その家の、土地の持っているものとか、家族の物語とか歴史とか、その中で、ひっかかるものを探すんですよ、刑事みたいに。それと、自分の持ってる素材が、なんか結びつかんかって、考えるんですよ。
久住 ボクもね、長谷川逸子さんの湘南台文化センターをやった時にね、長谷川さんから「なんか提案してよ」って言われて、現場の周辺をずいぶん歩いて回った。そして、その近くに土の断層を見つけました。それと、海岸まで行ってみると、波打ち際に黒雲母みたいなものが砂浜に打ち寄せていました。その黒いラインが何重にも重なっていて、その間に貝が散らばっている。「これ、デザインに使えるな」とかね。
挟土 東京の東麻布でビストロやってたんですけど、場所が東京タワーの目の前だったんですよ。そこに、銀箔の銀とオレンジのラインで、ギザギザのスジがいっぱい入って、それは、東京タワーの鉄塔の夜のオレンジのトラスの影がそのまま光になって、店のVIPルームにやってくるって話なんですよ。あとは青いライン。それは、時間というか、黒の中に、青が消えるみたいに見える角度があって、これをやったら、未来的な左官でおもしろいって言ったら、「いい!」ってことになった。
久住 そういうことだと、けっこうコトバっていうのが大事になってくるね。
挟土 環境、健康っていうのもあるけど、気持ちいいというか、精神的な部分に訴えて、という時もある。
久住 さっき、パッとやって、サッと引き上げるって言ってたけど、例えば「版築」みたいにコツコツやるものは、どうですか——?
挟土 ばらついたもので正確にやると、「力」になるんですよ。左官の醍醐味だと思う。ばらついたもので、バラバラにやると「ヘタ」になる。サゲフリ使って、バッチリ正確にやって、肌だけばらついて、ズーッと上がっていったら、これは工業製品ではできない、「力」あるものができる。そういう風に考えて、やってます。
久住 ボクが秀平ちゃんの仕事見て思うのは、好き放題やっているようでも意外と「品」があるなって思う。やはり「品性」というのは外したらあかん。
挟土 「ちょっと引いたあたり」が世界中誰でも「いい!」って言うバランスなのかな、と思います。
久住 あの、金沢でやった金箔屋さんの金の壁は、どうですか——? あれは、引くもクソもないよね——? 全面、金やね。
挟土 あれは、あそこまでやり切ったから、「いい!」ってことになった。
原田 (挟土)秀平ちゃんと(久住)親方のデザインのやり方は、「似とるな」と思う。どちらも攻撃的ですね。「探してまわる」とかね。
ボクは全然反対のやり方で、ボーッとしとる。来るのを待っとる。デザインするっていうのは得意やないんやけど、「できる時」は、何かある。素材選びにしてもね。なんか、待っとる。小沼さんと、近いところがあるみたいやけどね。
小沼 近いかもしれません。
原田 ボクは、神経をピリピリすることは、できん。ボーッとしとる。と、例えばテレビを見とって、「あ、コレやろ!」とか、そういう何かが「来た」時にやると、マチガイないね。
以前は、やっぱり無理しとった。だんだん50才に近くなってね、無理がきかんようになった。なるに任せて、ジワーッとやるとね、結果的には、いいように思う。苦しんで出したものは、やはり苦しい。なんでも笑いながらね!(久住)親方の影響は強いね。なんでも笑い飛ばすっていうのは有効やね。それは、親方から一番習ったこと。ガハハって笑うとるもんね(笑)。
小沼さん、どうですか——?
小沼 木村さんに、デザインのお願いする時は、「好きなようにデザインして」って言う。やるのは、オレが考えるからって。どんなにとんでもないモノが出てきたって、「できません」とは言わない。一生懸命考えるのが好きですね。
久住 ふたりの、そういう関係ってどうなんですか——?
木村 もちろんボクが作ってきた仕事を小沼君に手伝ってもらうこともあるし、小沼君が持ってきた仕事をボクが手伝う時もありますが、ボクはね、20年前に久住の親方に出会った時から、左官のファンなんですよ。ファンだから、いろんなところで「左官でやりましょうよ」って、しつこく薦めるんですよ。
先程から、どうやってデザインするかって話になってますが、デザイン作業の半分は、どういうアイディアを出すか、だけど、もうひとつ大事なのは、どうやって、それを収めていくかということで、「美術的な力」が無いと、良いアイディアであっても良くは見えないわけです。そういう「美術的な力のこと」をボクらは「デッサン力」と言ってますが、それはデッサンする力って意味じゃなくて、「バランスをとる能力」のことなんですね。バランスをとる力がないと、コケちゃうんです。
では、何に対してバランスをとるべきか——というと、小林澄夫さんのコトバを借りちゃうけど、「風景」に対してバランスをとるべきだと思う。特に左官というのは、風景の一部となるようなことをやっているんだから、そこを考えなくちゃいけない。アイディアなんて、いくらでも出ますよ。コンセプトって言い方は好きじゃないけど、まぁ、仕方なく必要な時もあります。でもこの風景に対してバランスをとれないようでは、優秀なデザインとは言えない。良い風景の一部を作ってるぞ——という自負が無いといけないんじゃないかな?
ボクは、絵描きですけど、異なる職業の人と仕事するのは、楽しいですよ。小沼君とか白石君とかと組んでよく仕事してますけど、すっごい楽しいですよ。
久住 面積も違う——?
木村 そうです、そうです。左官がやってることは、100号の絵どころの話ではないですからね。
久住 いくらでも広がっていけるよね。
木村 そうです。例えば「緑化壁」っていうのがありますよね? 壁に草とかツタとか生やして・・・。メーカーが作っているのはプラスチックとかステンレスのメッシュに草とか生やしてね。だけど、あれだと枯れた時どうするの? プラスチックとか見えちゃって興ざめですよね。でも左官なら、たとえ草が枯れた時でも充分見るに耐えるものが作れます。そして、花が咲いたら「おぉ!」って感じで。そういうのをこれからドンドンやっていきたいですね。
久住 そういう意味で言うたら、ボクなんか、これまでアウトっていうか、三振というか、エラーというか、失敗作の方が多いね。ボクはお客の希望をかなえる、ということを強く考える。あんまりお客の希望から離れたことはやらない。お客の希望することから離れずに、でも彼らの要求より高いレベルで実現しようって、やってきた。
でもね、それをやるとね、木村君のいう「風景」からいうと、アウトなんです。そういうの、いっぱいやりました。だから、今スゴく反省してる。風景というか町並みというか、景色というか、そういうものとバッティングするようなことをやってしまった・・・。
挟土 丸ごとやるのは良くない。人の顔をモロに見せるとか、そういうのは、良くない、と思うの。
今、エステの壁をやろうとしているんだけど、江州白の土で、女性の柔肌を表現して、ヒップラインの一部を切り取って、くちびるのラインの一部を切り取って、「これでヒトだ」ってやろうと思うの。エミール・ガレのアールヌーボーのキノコのランプってのがあるけど、丸ごとキノコは良くない。その一部で、抽象的ってのがいいと思う。左官屋なんて、デッサン力ないから——。
木村 いや、デッサン力ありますよ。特にここに座ってるヒトたちは(笑)。
(久住)親方、先程反省してるっておっしゃったけど、たしかに中にはそのようなものもあったかもしれないけど、あれほどの表現が左官に可能だということを示した——これはすばらしい功績ですよ。親方は、左官の未来をひらいたんですよ。
挟土 ボクはね、サクラの花びらを壁に入れる時、どうやって入れたらいいかな、と思って、まわりの石を集めて、こうやって投げてね、そして床に落ちたバランスを見るの。そうすると「はずす」ってことがわかってくるの。「自然のランダム」っていうか——。
原田 「はずす」のって、ムツカシイよね。
小沼 ボクも、石を拾って、その模様を見て、そのとおりやる。困った時は石を見つけて。
原田・挟土 うんうん。
久住 これまでボクとか秀平とかしゃべってきたデザインっていうのは、「絵画的」なデザインに近い。でもね、若い時から数寄屋をやってきて、その数寄屋の壁はね、壁を塗っただけ、そのテクスチャーだけなんだけど表現力がある。それが、東京の建築家たちと付き合うようになった時に役に立った。そういうのが左官屋のデザインかなって思います。
木村 親方のやった青山の45rpmの壁。ちょっと角度つけて斜めにして、光の当たる面と陰になる面でデザインした。光を計算してね。ただの平たい面だけだけど、ああいうのが、左官のデザインだなぁ、と思って参考にしたことがあります。
原田 もっと、任せてやったらいいね。何に任せるのかようわからんのやけど。何かに任せて頼ってできた形って、いいと思うのやけど。
久住 小林(澄夫)さんのコトバの中にそういうコトバがあるんですよ。「シンプルでわかりやすく、やさしく語りかける美」というか、そういうのを感じるんです。左官が本来持ってた、単純に素直に塗ったただの平面の壁が訴える力っていうんか、そういうのが左官の美として価値があるなぁ、と感じますねぇ。
原田 ムツカシイけど、そこを見つけられたら、すごく楽ですよね。
久住 秀平の作品の中にも、それはある、と思う。
挟土 ボクはね、いっぱいの要素を混ぜないように、してるの。この壁は、怒っているか、笑っているか、気持ちいいか、そういう「一点」で集中したい。「かわいくて気持ちいい」とか、混ぜるとチャランポランになる。
久住 ボクは若い頃から、バロックとか、「マネゴト」やってきた。実際ヨーロッパ行くと、それがちゃちなことだ、つまらんことだっていうのがよくわかった。日本の左官職人として、どういう壁を表現するんか——? ボクは「デザイン」というコトバ、実は好きじゃない。「表現」っていうくらいにしといて——。
外国に行くと、日本の壁はどういう壁かって、よく聞かれるんですよ。モダンにデザインされた壁というのは実は、世界中でよく見るものなんです。そやなしに、日本人の風土とか、心から生まれてきた、質素な、なんとなく精神風土が伝わるような、そういうことやらんとなぁ。
木村 いいなぁ。「質素な」ってところがいいなぁ(笑)。
<発言者不明> みんな久住さんのマネしちゃってる。
久住 そう。だから反省してる。
ボクは、京都の奥田信雄さんのことをあちこちで言うんですが、ボクはさんざん、あちこちでいろんな壁作って、いろいろやってきたけど、奥田さんは、たった2種類の壁で、ボクは負けてしもうた。ボクは最初の方でも言ったとおり、やり方を覚えたら誰でもできる壁を目指してきた。「究極」なんて目指してなかった。ところが、その奥田さんはね、講習会の時に、朝一番で、「今日は、究極の聚楽壁をやります」って言うんや。そして、それはスゴイことやった。
たった2種類の壁を、気に入るまでやってきた。誰がなんと言おうと、オレしかやれなくても、「これがオレの美や」ってヤツを追求してきた精神の強さ、というか凄さを感じたね。「負けた」というか、すごいショックやったね。オクダノブオの世界をボクもなんとかせんとなぁ——と思ったね。
原田 本当になんとかしようって思とる?
久住 生きる強さっていうのか、執念の深さっていうのか、ボクにはそういうのが足りんかったなぁ、と思とるね。
木村 ひとそれぞれでしょう。
原田 親方は、このままずっと行ってしもうた方がいい・・・。
木村 「美」のことを言ったらキリがないけど、また、それぞれ個性的でいいんだけど、それを集合体として見た時に、日本の風土というか、そこの景色を見ながら、どう感じながら生きてきたのかって、そういうものが自然に表現されていると、左官がもっともっと人々に好かれるものになっていくと思いますよね。
久住 ボクの親父の昭和10年頃に大阪の中之島あたりの現場で写した写真が出てきたんだけど、キモノの作業服着た写真で、それがムチャクチャカッコイイ。明らかに日本の職人やいうのがわかる。
木村 作業服考えよう!( 会場爆笑 )
久住 ブルーノ・タウトが昭和8年に日本にやってきて、スゴイ美しい!と感激した。そのブルーノ・タウトは、実は左官屋なんです。
木村 それは知らなかった——。
久住 そう、途中から建築家になるんです。で、日本中に点在する西洋建築のマガイモノを見てね、これは日本の国土が汚されている。日本人はこの先何十年もかけて、戦わないといけないって、文章まで書いてる。
そのブルーノ・タウトはね、きっとキモノの作業服着た職人の姿を見てるハズです。そうするとね、親父のこのカッコして聚落壁を塗ったのと、GパンにTシャツ着て塗ったのでは、値打ちが違うなぁ、とつくづく感じるねぇ。
小沼 誇らしげな顔してますよねぇ。自信に満ちあふれて。
久住 そうそう。でもこのキモノの作業服、買うと高こつくでぇ(笑)。
この後の話は、まとめる自信がない。話はあちこちへ飛び、発言もパネラーに限らず、次々と発言され、どこがおしまいか、判然としない。しかし、この座談会、久住親方が呼びかけ、親方よりひとまわり下の40代後半の者たちが主にパネラーとなって行なわれたが、ディテールでは、興味深い話もあり、じっくり読んでいただきたい、と思ったので、あまり極端には要約していない。
一応の区切りで、作業服の話で終了としたが、このあと続いて出た話の中で、今井俊博さんの話されていた、「環境土木」の話も、興味深く感じた。住宅や建築に限らず、土木というか、風景というか、「手仕事の『雄』」として、左官は、その仕事の範囲を広げるべきでもある。「道」を「花壇」を「公園」を「庭」を「川辺り」を「海辺り」を「町中」や「山里」をも左官のフィールドにしていけたらいいなぁ、と思う。
次回は、そのような方面へも話を広げつつ、また楽しく「左官座談会」が開けたらと思う。パネラーたちは、しゃべるのが職業の者ではないので、伝えたいことをうまく伝えていないことも多いし、話のキャッチボールも、うまくいっているとは言い難い。発言者は全員、モノ作りの実践者であってコトバの人間ではない。読者の海容と酌量を切にお願いする次第である。
(この座談会は、富沢建材株式会社さんの後援を受けて行なわれました。)
【 発言者紹介 】
久住 章:1948年生まれ。兵庫県淡路島出身。みんな知ってる左官の大親方。
原田 進:1958年生まれ。大分県日田出身。久住氏の「一番弟子」。あだ名は「ユンボ左官」。天真爛漫、スケールがでかい。
小沼 充:1960年生まれ。東京と福島がルーツ。榎本新吉氏の最後の弟子。あだ名は「忍者左官」。人知れず多芸。静かにエコ。
挟土 秀平:1962年生まれ。岐阜県高山出身。あだ名は「スター」。ストーリーのある壁と劇画のような人生。
木村 謙一:1959年生まれ。福岡と埼玉がルーツ。「晴れやか美術計画」社長。左官のかたわらを歩く「美術仕事人」。
榎本 新吉:1927年生まれ。江戸の名左官。商売を引退した後もその影響は広くとどろく。イナセな80才。
石本 力:1941年生まれ。東京都出身。建材研究工房「アトリエ樵」主宰。
白石 博一:1973年生まれ。茨城県古河出身。久住氏最後の弟子。あだ名はまだない。