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擬態、この不思議な世界、そして擬の技

蟻峪佐平



海藻のゆらめくのなかをヒラヒラと泳いでいる小魚に突然不幸が襲いかかる。海藻のつけ根の砂地の静まるあたりのひとつのかたまりが、パクリと口を開き一瞬にして飲み込んだ。砂地に似せた底魚の待ち伏せである。テレビの映像は鳥や昆虫や魚の擬態の不思議な光景を次々に映している。ナレーターの「とても生き物の進化論では捉えきれない驚異的な擬態の世界、みなさん信じられますか!!」の問いかけに、あきれるほどの擬態を演じている生き物のこれほどまでの演じる理由って何なのだろうかと調べてみたくもなる。

擬態のことをネット検索で調べてみると、科学知識にうといぼくでも理解しやすく説明してくれるホームページがすぐに見つかる。にわか勉強で恥ずかしいけれど、擬態の理由やその分類の基礎知識をホームページから引用して述べる。

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いわく、《 虫たちの周りは、危険がいっぱいあります。鳥やカエル、肉食の虫などにいつも命をねらわれています。これらの殺し屋たちから逃れ、子孫を残していくために、虫たちは、様々な方法で身を守ります。虫たちから敵から隠れるには、敵の目を欺く方法、木の枝や、葉っぱなどにそっくりな姿をする方法があります。擬態には大別して2通りあります。1つは周りにある物に似せて自分を見つけにくくする方法です。このような虫には人間も見分けられないことがよくあります。このような虫には葉や木に化ける物が多く見られます。ほかにも花などに化ける物もいます。 ・・・・略。もう1つは周りにいる危険な虫などに化ける方法です。このたぐいにはハチに似ている物が多いです。子供もアブやスズメガなどをよくハチと間違えることがあります。このようにすればハチが来たと思って安易に近づくことができなくなります。ほかにも臭いにおいを出す虫に似た形をする虫も多く見られます。また、敵に襲われそうになったら、鳥の目玉のような羽を見せたり、いかにも毒々しい色をして敵を脅かしたりする虫もあります。このような方法も擬態の一種です。このように、体の色や形をほかの物に似せて目立たないようにしたり、 逆に目立つようにして身を守ることを擬態といいます。 これは、昆虫に限らず動物でも擬態をする物もあります。 ・・・・・略 》。引用①

いわく、《人が似ていると思っていても、捕食者は果たして同じように認知しているのか。また逆に、普通人の目には似てると思えなくても、生物同士では何らかの模倣になっていることがあるのではないか。・・・・・略 》。引用②。

さらにまた、《 擬態というと、モデル、擬態者、天敵という三者だけを「見て」しまいがちだが、もっと広い範囲を見わたさないと本当のことは見えてこないようだ。「なぜ黒い鳥がいるのか」「チョウのメスだけが擬態するのはなぜか」「シマシマのヘビは誰に擬態しているのか」一見素朴な疑問の中に、躍動する自然の姿を見いだすヒントがつまっているということを教えてくれる。・・・・・・略 》。引用③

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ぼくも擬態が種の保存と言う大きな理由のほかに、生物の進化論や科学では解き明かせない未知なる領域があると信じさせる何かがあると思う。

ひとを惑わせて楽しませ、魅了させて酔わせるような何か。ひとの目をそらせてみたり、あまりの写実にあり得ない空想や思考を想起させる何か。擬態の理由を「どうだい、わかったかい?」「わからねぇだろう、ホントのところ?」とそのナゾをひとに問うてくるような擬態の生き物からの発信。えらい先生だって、勉強したからって、研究したからって、何百万年生きてきたオイラたち擬態一族が「オイラたち、じつはアンタ方の何でも知っている気取りが可笑しくてさあ」って囁きながら、ひとへ? なぜこれほどまで演じて魅せるのか。オイラたちだって何でかなあって一族の長老に聞いても、たぶん首を傾げて答えなんか出ないんでさあ。閑話休題。

擬態の話は終いにして、左官の話に変える。左官にも「擬」のつく技の仕事がある。擬石、擬岩、擬木、擬板、擬竹、擬土のたぐいから擬洋風と言った建築様式まで擬のつく技の仕事がある。その製作は何時ごろからなのか材料の歴史で追っていく。材料をセメントモルタルに限定すると、我が国のセメント製造のスタートは明治31年だから、それ以降の約百年の歴史と言う事になる。

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そのなかの擬木のことで、先日、須長一繁さん(草樹舎代表・ガーデニング専門家) から耳寄りな話を伺った。いわく「擬木の橋が新宿御苑の池に架かっていて、その横の立て札に由来が記してある。明治38年フランスから擬木製の橋を輸入、設営はフランス人技工師が来日して組み立て完成した」。この橋がおそらく我が国最初の擬木と推定されるとのことである。

ぼくもその後いろいろ調べてみたり、擬木の上手い年配の職人に訊ねて擬木の歴史をさかのぼろうとしたが、不明に終わった。しかし、どこかに記述された本や物知りの方が居られても、セメントモルタル製に関しては、セメント製造開始の明治31年以降のことになるから、今のところ8年間が不明である。

また、ほかの素材、例えば漆喰であれば、伊豆の長八の鏝絵の額縁に擬木や擬竹があると聞いているので、作品の製作年号を確かめれば江戸末期にまでさかのぼる筈である。が、これは鏝絵作品の一部であって、セメントモルメタル製擬木とは目的もまったく違うので、むしろ古くからの名庭園のなかに、漆喰製であってもいまの目的に合致した建造物があるのかも知れない。

また、フランスはじめ他のヨーロッパの国々には古くから擬木、あるいは擬石を必要とする文化や需要もあったと推定する。友人の話によればイタリアの都市国家、ルネッサンス期には外部に見える石造建物に擬石は広く使われていると聞いた。

さて、擬木、擬石など「擬」の楽しみ方について。10数年前、埼玉県八潮に住む左官・横山和弘さんの自宅に訪ねたときの話からはじめる。玄関の先、階段室の壁の出隅の角に擬竹があつらえてあるのだが、それは後から種明かしで擬竹と判別して言えること。最初は見事な自然の竹としか思えず、横山さんから注視するように促されてしばらく観察するうちに擬竹と判った。竹の節の再現どころではない。竹の表面に極小の黒い斑点が散って認められ、竹の肌を写実している。ぼくにとってはじめて擬竹で、いきなり最高の極みを見たのである。このとき擬木も擬石も住まいの適所に用いられていたから、彼の案内で彼の仕事ぶりに目を見張りしばし楽しみに浸った。

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後年、左官技術のもたらす工芸の凄味を保つ彼はやがて花咲か団に入り、南紀白浜「川久ホテル」回廊にある柱の石膏マーブル仕上げに昇華することになる。淡路島の制作工房での過程や現場取り付け時、その後のホテルオープンで鑑賞した石膏マーブルの列柱は、最早、天然大理石を模したと言うより、「擬」を創造的なデザインによって高めることで初めて成しえた人造大理石の美の極致に思えた。美術家と融合した左官職人のもたらす左官技術の萌芽、美術的左官を発見する思いがした。

同じ頃、群馬県の技能士会の講習会で知り合った左官・石川光宏さんの彫刻、擬木、擬石、擬竹の見学をさせていただいた。ぼくより年長の開けっぴろげな性格と、辺りはばからぬ口調で何より仕事の技の工夫ぶりを嬉しそうに話してくれる。「丸太しぼりの面皮仕上げは
薄いビニールでサッとなでて引いてさあ」「竹の節ったって1本線もありゃ2本線もあるだんべえ」「5、6坪の土間の擬石だったら1日1人工で十分やれる。教えっから職人連れて来ねえか」。で、後日ウチの職人連れて現場実践塾に。むろん大成功。あくる年、ぼくの所属する組合青年部技能講習会に擬木、擬石の講師としてお招きし、実践で培った技の数々を披露された。材料の配合から「擬の技」におよぶ素早い合理的な思考も手の動作もあくまで素朴で野趣に富んだ彼の個性を前面に出していたから、彼のほがらかな笑いに包まれた何とも楽しい講習会になった。

こうしてハンドメイドの「擬の技」に興味を増していくうち、かつて全国を廻って擬木、擬石の工法を普及された、中野・吉村弘さんにお逢いしたいと思い、ご自宅に訪ねた。ご自宅の玄関の外回りの腰壁に、焼き杉の木目の深い炭化したかの擬木は、はじめて見るデザインである。頭上のベランダ手すり外壁は、大岩の積み上がった迫力のある擬岩仕上げ。技巧を凝らし抜いた本職の凄味も然ることながら、室内の天井、壁にも左官装飾があらゆる部位に施されていた。

吉村弘さんが以前、左官教室誌で公開された擬石技術の記事は今でもクッキリ覚えている。その内容は、コネ場の砂山をスコップで適当に穴をいくつも掘る。そこにモルタルを投げ入れる。乾いたら砂穴のモルタルをひっくり返す。砂穴が不ぞろいの鋳型の役になって半円形のモルタルの塊りがいくつもできる。この塊りを組み合わせて積み上げれば岩肌の壁になる。

この工法を用い、実際、埼玉県のある水族館の水槽内の擬岩に仕上げた。擬岩は景色として例えば滝の岩壁、滝つぼに使われて水の落差のしぶきに濡れても美しいまま保つ。またシダ類やコケ類の植えるあたりは自然の景色のまま、その描写力にモデルとなる自然への観察力、修練をあらためて感じる。ここにも自然界の事象と左官の対話が読み取れて、左官の可能性を思った。余談になるが今年、吉村弘さんの擬木講習会が行われて、その講習会の記録DVDを主催者からいただいた。高齢化していると言われる左官社会にあって、DVDに映る沢山の若者を認められたことは大いに嬉しく、主催者の原田左官工業所、参加した職人さんと青年部、あらためて吉村弘講師に感謝で一杯の気持ちになった。

このような技術、工法の西洋版とも言えるのが、東京ディズニーランドなどのテーマパークやアトラクション施設にある「擬」の仕事である。大面積を占める山や洞窟をはじめ、ありとあらゆる処に擬岩、擬石、擬土、擬木が施されている。日野市・大久保雅一さんの話によれば、第一期ディズニーランド工事の施工にあたって、ディズニーランドの本拠地ロスアンジェルスに渡米し、ディズニー仕様の技術を習得されたと聞いた。

昨年、埼玉県の西武球団の本拠地で国際バラ展があった。このコンテストで知人のチームが優勝したと聞いて、この時の写真を送付していただいた。バラの花園の見事さは言うまでもないが、知人のチームは造形に擬木、擬石、擬岩をふんだんに用い、その演出力が評価されたと思った。聞くところによると、「擬の技」用の専門モルタルを開発し、美術的な天分に恵まれた方のデザイン力や創造力が活かされて、「擬の技」の可能性を拓く挑戦が継続されているそうだ。その仕事は店舗や公園土木、そして東京~香港ディズニーランドへと足跡を伸ばしている。

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このような擬木や擬石やの「擬」の表現の多様性のある技術は、何故今日まで継承されて来たのだろう。そのような仕事に恵まれた需要が第一の理由かも知れないが、ほかに職人の心を揺さぶる何かの魅力がある。それは技術的な指向ばかりでなく、たぶんモデルに対する観察、自然へ眼を向ける面白さ、時にモデルを越えたデフォルメの面白さ、想像力や美意識の領域を刺激し、その刺激を鏝の作用に変える面白さ。ひとがひとへの「擬の技」を通じて存在を露わに出し尽くす凝り性の凝り性たる主張なのだと思う。だから面白い。

このことは、あきれるほどの擬態を演じている生き物の、これほどまでの演じる理由が生き物の進化論のみでは表せないような、不思議な面白さに共通すると思う。ぼくは作れないので、擬石、擬岩、擬木、擬板、擬竹、擬土を作るひとの面白さってどれくらい広く深いのだろうかと、想像を巡らせては楽しんでいる。「擬の技」は「贋、偽りの物作り」とはまったく異なる面白き世界にこそある。


余談になるが、最近のTV番組(BS)でファーブル特集を観てから「ファーブルの昆虫記」を読みたくなった。早速、この番組に出演して仏国プロヴァンス地方のファーブルゆかりの地を案内したファーブル研究家・奥本大三郎氏の完訳本を図書館で借りてきて、いま上巻を読みはじめたばかりだ。その目次のなかに「左官蜂」という文字を見つけた。泥を素材に巣を作る蜂なのかなとソコツにも推測したけど、どんな蜂だろうかと読むのが楽しみになる。またファーブルの序章に「知能の働きを想定することに昆虫の行動の大半を説明したと考えている進化論は、その主張するところを何ら説明していないようにおもわれる。本能の領域は人間の考えだしたあらゆる理論の外にある法則に支配されている」という文中の言葉は、擬態の不思議さにも通じる思いがして妙に惹かれた。



本原稿の一部は下記の方から引用しております。
引用① HP「あっしーのぺーじ 科学の部屋 第3話 擬態」様より。
引用②③ 擬態―だましあいの進化論〈1〉昆虫の擬態 上田恵介編著
   築地書館(1999年12月発行 0)様より。
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引用写真 擬木橋はHP「新宿御苑日記」様より。
引用写真 擬木、擬石は林様(デザインワーク)より。

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