関氏連載8

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伊豆長八からの手紙(第8回)  開館25周年の長八美術館

伊豆長八作品保存会 関 賢助


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日本左官業組合連合会の全面協力を戴いて、昭和59年に完成した「伊豆の長八美術館」は今年、平成21年7月15日で開館25周年となりますが、記念行事の予定はありません。 開館当初の異常なまでのブームは夢のあととなり、当初の年間25万人を超えた入館者も、現在はその4分の1をようやく超える程度と、侘しいものとなっております。これは、長八美術館に限ったことではなく、伊豆全体に言えることで、観光客の数は極度に落ち込んでいます。
しかし、長八美術館本来の、長八作品の微細なまでの塗額、少し離れて見たい壁画、リアルな表情の漆喰像等を自分のペースで観賞するには、現在のほうが何よりも勝っていると、何方もみとめております。それは、美術館に備え付けの「思い出ノート」に記されている、「もう一度、来たかった」「改めて見直し、繊細な技に感動しました」といった何人もの方の声からも証明されております。
とは言うものの、入館者の方々の多くは左官職人でありながら制作された作品の見所が分からず、何処までも美的感覚を求めて、単に表面だけを見ている事が多いようです。職員に手渡された拡大鏡で何処を見るのかにとまどいながら、足早に出て行く方が多いのが実情です。何かを変える時に来ているのかも知れません。

ポストモダンの美術館の建物は、機能を重視した合理的なモダンデザインとは異なり、色や形が大胆な、遊び心を取り入れたもので、開館当時に話題となりました。全国の左官名工が技を競った壁面は今でも話題になります。その後、鉄骨ラス張りの外壁は補修も施されました。変化は僅かなものですが、雨に濡れた壁面にクラックが見える事があります。
しかし、正面三角窓の下には直線と曲線が交差し、イメージを図面に表す事が出来ないと言われた曲面を「御影石の洗い出し」で見事に仕上げている所や、丸柱をリシン工法で仕上げ、表面をサンダーで研いだ表面、置き引きで仕上げた縁等は、今でも高度の技の結集を表しています。初めて公開されたと言っても過言ではなかった土佐漆喰の壁面は、当初の土色からは大きく変わって、自然に漂白され、ほぼ純白となり、壁の強度は増しているかのようです。それに館内のリアルな擬木(ぎぼく)のモニュメント等々の最高の左官技術は、25年経った現在でも人々の目を引いております。

大きく下降線を描く観光客数と世情により、伊豆各地の観光施設の縮小や閉鎖もあります。ご多分に洩れず、入館者の減少と合わせるように長八美術館内の食事設備「カサ・エストレリータ」は閉鎖され、町内の美術愛好家の作品展示施設と喫茶のみの営業となっております。美術館というのは、遊びや体験が主の一般の観光施設とは異なる文化施設と捉えられるのか、当初から曖昧なところがあるのもいなめません。
これからの25年はどうなるのか。通常の建て方に遊び心を加えた、ポストモダン。それが建物の耐久性にどう影響し、何処まで耐えられるのか。時には疑問を感じることがあります。

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さて、その美術館の前に、火災から我が身を護るオーソドックスな土蔵を我々「蔵造りたい」は建てています。上棟式(建前)から10ヶ月が過ぎました。月に2回のペースでのボランティア活動が主となっていますが、ようやく外壁の海鼠壁(ナマコ壁)の瓦も貼り付けが済み、海鼠の下塗りが終り、中塗りを始めたところです。会員の多くが、普段は工事現場とは関わりのない方々なので、安全対策もなかなか理解しがたいところがあり、気の休まる時がありませんでした。ですが、ようやく足場を必要とする高所の作業は終了し、足場の解体作業も無事に終り、一安心といったところで、ホッとしております。
10月末の国民文化祭では、どの様に評価をされるのか自信はありませんが、「インターネットで見たんだけど」と現場協力に来られる方もあります。改築、修理に伴う土蔵や海鼠壁についての問い合わせが寄せられる事もあります。「蔵造りたい」会員の9割は一般市民の方ですから、現場での作業のうち、当初の土練り、木舞かき、荒壁塗り、瓦の貼り付け等には大きな戦力となりますが、工程が進むほどに手が出せなくなってきます。しかし、「海鼠壁はどうしてもやってみたい」と、海鼠の下塗り、中塗りに挑戦しております。
国民文化祭には、会場に見えられた方々にも、壁塗り体験等の企画も考えております。重厚な塗り壁の美点をアピールしたいものと、計画しております。

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