伊豆長八からの手紙(第7回) 海鼠壁の土蔵を造ります
伊豆長八作品保存会 関 賢助
平成21年度の国民文化祭参加を目的として、土蔵を造ってはと、計画をしています。そこで改めて見回すと、伊豆の松崎町の土蔵は数件の店蔵を除いて、多くが農家の住居を兼ねた、生活に密着した蔵だけです。倉敷市や喜多方市に多く見られる、建主が御自分の財力を誇示するような蔵はありません。
松崎町では火災から我が家の資産を守るため、母屋を建てる前に、別棟に建坪は20坪前後の海鼠壁の土蔵を建てた、との話があります。延焼から逃れるのが目的でしょう。隣との境、隣接している所だけを海鼠壁とし、他は土蔵に下見板張りとなっている、他所ではあまり見られない土蔵もあります。
聞くところによりますと、それは、温暖の地と言われている伊豆でありながら、冬場の西高東低の気圧配置となった時に、風速20mに近い台風並みの強風に晒され、ひとたび火災が発生すると、次々と延焼し大火となることが多かったことによるものと言われております。
その土蔵の多くが、二階は畳敷きの部屋となっており、一階は穀物やその他の資産を収納。下屋も土壁、海鼠壁で包み、農機具置き場と、火災発生の際の扉の目地塗り用と、備蓄を兼ねた味噌蔵となっているのが、通常です。
しかし、現在の生活には合わないとか、古くて邪魔、補修や修理の維持費がかかる、などと解体されることが多いのが現状です。中には、最近のエコ・ブームもあってか、「厚い壁に包まれて、暑い夏場も、寒い冬も、室内温度の変化が少なく、貯蔵する穀物の味が変わらないので最適ですよ」との声もあり、見直されております。
「何よりも庶民に密着し、生活を支えてきた土蔵が、人口8,300ほどの小さな町に、200棟余り現存するのは、極めて珍しいことではないか。しかし、このままでは、土蔵海鼠壁は減少し、それに関わる左官職人の技能が途絶えてしまう」と町当局は憂慮し、平成8年から、街の美観と、技能の伝承を目的として予算処置をとり、町内のブロック塀を海鼠壁に改修するという、全国でも極めて稀な事業を継続しています。それに連なる事業として、「新たに海鼠壁の土蔵を造り、平成21年度の国民文化祭に参加することにしては」と、ボランティア・グループ「松崎蔵造りたい」は、松崎町に提案をしました。
しかし、土蔵海鼠壁の補修修理は体験済みですが、新築となると簡単にはいきません。新築に関わった、大工、左官などの職人はもとより、町内に図面などの資料は皆無です。そうした中で、我々の意気に賛同された設計士の工藤省三氏は、平面図はもとより、海鼠壁の割付、梁、柱の組み合わせまで、旧家を訪ね、資料を収集して、作成し下さいました。その上に、我々が予想もしなかった、パネルや模型を制作されたのには驚きました。町当局との話し合いの場では、模型を目の前にした松崎町町長は「良いじゃないか、やりたまえ」。この一言が全てです。
建設現場については、「伊豆の長八美術館」前の広場にしては、との指示もあり、ここで漸く具体的に行動を開始することになりました。9月6日、町長も出席されて起工式が行われ、早速に基礎工事が始まりました。
その後の9月23日、「新築される土蔵の上棟式は町内では70年、いや80年ぶり」と、話題を集めました。建物は小さくても、柱は15cm角と、立派なものです。つた掛け、やりこし穴や、柱や梁の組み方はもとより、通し抜きの板も厚みは3cmと、一般住宅使用建材の倍の厚み。柱の中で凹凸にして組み、クサビで締めて固定され、微動だもしません。釘が貴重であり、現在のような建築金具の無かった時代の“貴重な材木の組み合わせ”も、再現しております。
9月28日、長八まつりの当日には、棟上を祝う餅投げも行われ、周囲の今後の期待も大きくなってきました。漸く「蔵造りたい」の出番ですが、これからが課題です。昨秋用意した木舞竹の確認、現場での細かな施工部分の検討、工事中の安全確保。今後はボランティア団体「蔵造りたい」が主となって、工事は進めることになります。メンバー構成から、日曜日などの休日を利用することが多くなります。慌てずに、安全第一をテーマに進めてゆきます。