風の谷保育園建設顛末記
特定非営利活動法人 緑の家学校 芝 靜代
(外観南東から望む:画像はクリックすると大きくなります)
風の谷保育園が2008年4月1日に開園した。
枝つき自然木の柱を5本も使った曲面屋根の玄関ポーチに毎日元気な子供達がやってくる。
2005年12月から2年と4ヶ月、過ぎればあっという間であったが、四苦八苦の毎日であった。
2005年12月に設計依頼があった。
2006年2月に保育方針を盛り込んだ基本構想を行政保育関係者にプレゼンテーションする。
それから6ヶ月かけて、いろいろな角度から検討し、基本計画を固める。
はっきりとした方針は
1、 国産材を使った日本の伝統木構造の建物
2、 長持ちして、地震にも台風にも火にも強い建物
3、 最後は土に戻る自然素材を使う
4、 風通しの良いきれいな空気がある大きな空間
5、 化学物質(TVOC)の発生しない建材を使う
6、 太陽、風、雨、井戸水などの自然エネルギーを使う
7、保育園という児童福祉施設というより、おうちがいくつも集まった村のような配置
基本設計が固まり、全体模型も制作し、9月に行政の補助金申請のための公式のプレゼンテーションをし、無事、パスをする。
2006年10月から12月にかけて、いくつかの建物を渡り廊下で結ぶ初期プランから、食堂、厨房を中心した一棟式プランに変わる。
それから、2007年3月まで国の児童福祉法による保育基準、建築基準法、消防法を踏まえた細かい規定の確認作業が始まる。実施設計である。加えて、敷地と建物の開発条例に伴う風致地域、宅地造成法などもろもろの行政の条例や規制があった。
第一種低層住宅専用地域の8メートルという高さ制限(普通は10メートルである)。がんじがらめとも思える各種の規制や条例や法律(縦割り行政により、各課の指導が重複していたり、食い違ったりする。)などを踏まえて、増田一真先生の考えられた伝統に基づいた新しい構造基準の木造の建物を建てるべく模索する。
つまり、福祉施設は燃えない建物を作るためにRC造や鉄骨造などの不燃構造が選ばれることが常識となっている。木造でも薬剤を注入した不燃木材であればよい。また木造といっても、実態は構造材に集成材が使われたり、造作材にも合板やツキ板などの集成材が多用されている。建具などはほとんどが合板と集成材にウレタン塗装である。左官材料も既調合のものはたいてい合成樹脂が加えられ、塗装材料も溶剤を含めて石油系化学製品が多く、畳の防ダニ加工と生活道具の抗菌仕様は農薬が使われている。他にも、この建物に毎日暮らす人たちの健康面を脅かす材料を極力排除した。是も国で決められたゆるい基準(EUの基準はかなり厳しい)より一層安全である材料を選択していった。
たとえば、木材保護材は外部には酸化鉄を主とした天然系と内部には米ぬかオイルのふき取りとした。建具は杉で作った。家具は北海道の胡桃で作った。病後児保育室の浴室はタイル仕上げであるが、塗布防水は建物の動きに対応するドイツの安全な防水材を使い、タイルの接着にも同じくドイツのモルタル系接着材を選んだ。同時に風の谷保育園でこれから働く、プロの保育士さんたちのたくさんの要望や意見を限られた空間の中に反映させる作業が延々と続いた。
3月に開発申請を約15の各課に提出し、指導を受ける。開発で大きな決断をしなくてはならなかったのは、雨水貯留層の問題であった。もともとこの敷地は行政の所有地を定期借地権設定で保育園が借りたもので、地目が溜池でした。地元の人に聞くと昔は魚釣りもしたし、敷地には湧き水も出ていたということで、地盤が悪く、大雨のときの浸水にも注意が必要というところであった。建物の下にRC造の貯留層を作るか、園庭の地下に作るか、色々な案を検討したが、保育園側のでこぼこした平でない庭という園庭に対する要望から、庭を掘って、オープンな貯留層とした。庭の低部のほとんどに雨水がたまることは何年に一度のことという結論でした。是に付随して、建物の床高は750mmで、耐圧版から突き出した杭頭と円筒形の束石に土台を敷き並べている。床下はスカスカで、風通し良く、じめじめしない。子供がもぐりこまないように周囲には格子が付いている。
その間に、開発分担金、水道引き込みに伴う分担金などの手続きがあった。開発申請の手続きが一通り済んで、2007年4月からいよいよ、建築確認申請を民間主事に提出する。確認申請と消防法の申請が何とかめどが立ったところで、6月助成金申請に基づく建物建設工事の入札の準備が始まった。選ばれた建設会社は7社。うち5社に見積もり依頼する。3社が入札参加。一回目は3社とも金額があわず、流れる。7月の2回目は2社が入札参加、是も金額があわず、流れる。7月半ば過ぎに3回目、2社の入札、地元のO建設が枠内に入り、やっと業者決定となる。すぐに契約を急ぎ、即、地盤改良工事に入る。
助成金が絡む仕事は竣工日が動かせない。よって、実質2007年8月から2008年3月までのたった8ヶ月で、260坪の大空間がある新伝統木構造の建物を完成させ、4月から保育園を開園しなくてはならない。工事業者も設計監理者も施主も工事中、かなり悲壮であった。案の定、大工工事が遅れ、12月の時点では定例の現場会議は荒れた。1月に入ってから、遅れている大工工事と平行して、各種の設備関係の工事がはいり、手際よく仕事が進む。2月に入ると連日残業が始まる。皆必死だ。
造園工事、園庭工事、が終わり、3月初めに何とかまとめて開発申請の検査を受ける。簡単な補修程度で検査はパス。その間もひたすら大工は玄関ポーチ、螺旋中央階段、拝みアーチと仕事を進める。難しい面倒な仕事を良くやってくれたと思う。感謝!
(玄関ポーチ)
(階段上り口)
3月20日ごろに建築確認申請の検査を受ける。問題なし。続けて消防の検査を受ける。いくつか手直しがある。この段階で、大工は庭側のデッキやパーゴラを作っていた。デッキの塗装工事や家具、建具などに残工事があり、3月末で何とかほとんどの工事が終わった。3月25日頃に全ての許可証を受け取って、園長がそれを添付して、保育園開園の認可申請書類を行政に提出し、何とかぎりぎりに4月1日開園にこぎつけた。
嬉しいニュースを園長さんから頂いた。
何人もの園児が最初の日からお母さんのお迎えに対して、「もっと遊んでいく!もっとここにいる!」といって帰ろうとしなかったという。「今まで、こんなことはなかった。さっさとお母さんのもとに帰っていった!普通はなれない場所で、心細い思いをしているはずだから、早く家に帰りたいはずなのにふしぎなことが起こった。」・・・・・・。多分、この建物は子供達にとっていごこちが良かったのかなあと思っている。園長さんがずーッとおっしゃっている森の中のような保育園に、少しはなっているのかな。
(3~5才保育室南)