田村氏投稿1

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怒り

アトリエ・テラ  田村和也


ある日、左官の講習会で、五、六十人いたであろうか。講習が終わった後、世話役の職人達が慌ただしく片付け始めた。隅にある流しで、残った材料を棄て、水道の下で容器の洗いをしている様に、「おい!何やってるんだ!」。びくっとして振り向いた職人はそこに榎本さんを見た。
「あんたなー、なんでせっかく作った材料を棄てるんだよ」
「そんなにジャージャー水流して、もったいないと思わねえのか?」
「だから、ダメだって言うんだよ」

資源、労力の無駄遣いに怒る師の姿勢こそ、「ありがたいねー」「もったいねえよ」を口癖にする八十を迎えた老人の、若い人達に対するメッセ-ジであろう。ここにこそ、我々は環境問題の原点があることを知らねばならない。
「俺は、環境問題だかなんだか知らねえけど、人として当たり前のことを言ってるだけだぞ」
「それが分からなくて、何が原子力反対だなんて言えるんだよ」

「もう少し原点を知らなきゃダメなんだよ」
「今の若いもんは十から百は知ってるかも知れねえけど、一から十を知らねえんだよ。だから百で止まっちゃって、のびねえんだよ」との名言は借り物とおっしゃる師だが、生き様として響く。

便利になった世の中は、材料も道具も金を出せばいくらでも手に入れることが出来る時代になった。おかげで、素人が左官なんて誰でも出来ると思い、自分で塗ることを始めた。それは、それで良しとしよう。それでは左官は何をやるのか? 鏝の操作が素人より上手いということだけで良いのか。
「むかしはな、大工のまねは出来ても、左官のまねはできねえと言ってたんだ」
この職人の意気込みはどこに行ってしまったのか?

左官がタイル下地屋に転落してしまった頃、師は川上邦基の「将来の我が建築が、鋼とセメントとを主材とするに至るとしても、その一部にはなほこの自然の土砂の色澤に依る壁面調色を存置して、日本趣味の横溢を期すべきは当然の事と信ずる」(『日本壁の研究』龍吟社)を読み、己がやっていることの正しさと、勇気をもらったという。

また、親父と慕う山崎一雄氏の「山を見ろ」の言葉に従い、山に入り土を集めては、土を篩い、砂を篩ってはその組合せで、様々な表情を生み出す素晴らしさに酔いしれたと言う。そんな折り、中村伸さんとの出会いも生まれ、「左官技術の第一歩は砂の研究であり、砂を活かせるのが、名人左官」(『日本壁の研究』相模書房)の記述に、我が意を得たりと思われたそうである。

「俺に会いに来たって、こんな爺さんの顔見たってしょうがねえだろ」
「何しに来たんだよ?」
「分からないこと聞けばいいじゃねえか、聞いてやってみて自分のものにしろよ」
「誇りを持てよ!感動をもてよ!そこから何かが生まれてくるんだぞ」

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