《豆知識》〜コスタリカってどんな国?




コスタリカ共和国の国旗

コスタリカは、北アメリカと南アメリカのあいだのくびれた細い部分、北緯10°の熱帯に位置する小国です。面積は約5万1千平方キロ(日本の8分の1強)で、東はカリブ海、西は太平洋に面しています。主産業はコーヒー、バナナ、牧畜業などですが、熱帯だけど涼しい高地も多く、最近では観光産業がめざましい発展。首都サンホセ市のある中央盆地(海抜1000メートル前後)を中心に、約350万人の人口があり(日本の36分の1強)、95%が白人とその混血です(黒人3%、先住民2%)。そのためか、都市の街並みはヨーロッパ的で、外国からの保養客も多い。中米諸国のなかでは治安や教育の水準も高く、政情は安定しています。

1500年代、コロンブスが到達したあと、スペイン人の入植が始まって、先住民であるインディオとの混血が進みました。1821年にスペインから独立したあと、中米連邦の一員としてメキシコに併合され、1848年に完全独立。コーヒー・プランテーションを経営する少数の家族、いわば財閥による独裁的な政治が続きましたが、第二次大戦後には一定の民主化を果たしました。常備軍を禁止した憲法をもつ国として有名で、1983年に永世中立宣言。1987年には、ときのアリアス大統領がノーベル平和賞を受賞しています。

しかし、だからといって、コスタリカを手放しで賛美することはできません。いま日本の民主勢力の一部に、コスタリカの政治を賛美するような傾向が現われていますが、それはちょっと『?』。軍隊を禁止した憲法をもち、政府指導者がノーベル平和賞を受賞しているのは日本も同じ(佐藤栄作首相/1974年)。魅力的なコスタリカの民衆や文化と交流することは価値あることですが、コスタリカの政治を賛美するわけにはいきません。たとえば……

◆常備軍は禁止してるけど──たしかにコスタリカの現行憲法は常備軍を禁止していますが(第12条)、『米州の協定によって、あるいは国家の防衛のために軍隊を組織することができる』となっていて、“有事”の軍備は否定していません。また『公共秩序の監視と維持のために必要な警察隊を置く』という規定があります。『警察』とは言っても、『市民警備隊』4600人は90ミリロケット砲をふくむ装備をもち、『地方警備隊(警察)』3200人も小火器(軽機関銃、小銃)をもっています。拳銃とライフルしかもたない日本の警察のイメージとはぜんぜん違うものです。

◆ほんとに平和外交か?──コスタリカの外交政策は基本的に親米反共で、永世中立を宣言したのに、アメリカに追随して民族独立運動や革新的な運動を抑圧してきた米州機構(OAS)や、集団的軍事条約である米州相互援助条約(リオ条約)にも加盟。1980年代には、ニカラグアの民主政権(サンディニスタ民族解放戦線政府)打倒のためCIAが組織したゲリラに基地を提供して、アメリカから約14億ドルの見返り援助をうけました。これは国民一人あたりの金額にすると、アメリカの対外支援としてはイスラエルにつぐ高額。アメリカがコスタリカをどう位置づけているか、よくわかる数字です。コスタリカは昨年の同時多発テロに際しても、いちはやくアメリカの報復戦争に全面賛成しました。

◆軍事費をなくし、予算の3分の1を教育費に?──上にあげた警察隊の予算など、国防・治安関係予算は年間約7000万ドルで、国内総生産の1%弱を占めます(ちなみに日本の『防衛費』が国内総生産の1%強)。これは約14億ドルの国家予算の約5%です。これに比べて、1970年代の一時期、国家予算の3分の1を教育予算にあてたことは、評価できる政策でした。しかし膨大な対外債務の返済に苦しむ80年代に入ると、教育予算は国家予算の20%程度に削減されました。経済建て直しのためにIMFの融資を受けましたが、新自由主義的な厳しい融資条件を受け入れたため、8000人にのぼる公務員の大量解雇、賃金切り下げ、教育・福祉予算削減などなど、貧富の差も拡大し、90年代半ばには労働者の平均賃金が78年の水準以下になりました。今では国民の25%が貧困ラインの生活をしていると言われていて、首都サンホセには数百名のストリートチルドレンがおり、全国で9000人の女性が売春を行なっていると報告されています。

コスタリカのこういう状況のなかで、より良いコスタリカのために行動している労働者・民衆のことを考えると、とてもコスタリカ政府のかかげる看板を鵜呑みにするわけにはいきませんよね。あるキューバ人は、日本にコスタリカ賛美の動きがあることについて、『米軍が守るからコスタリカに国軍は必要ないのです。アメリカと財閥べったりですばらしい政治ができるなら、民族独立運動も民衆の政党も必要ないことになりますね』と皮肉っていました。より良いコスタリカ・中米・世界のためにたたかう人びととの連帯や、コスタリカのすばらしい文化や民俗を知るための交流をこそ、発展させていきたいものです。
(文責:郡司 裕/2002.03.05)